2012年10月22日月曜日

喫茶去 / 時間管理力は感情費で決まる




禅の言葉「喫茶去」・・・「きっこさ」とは、お茶を飲む意味の喫茶に強調する意味の去を付け足して、「お茶を飲みましょう」と、強く誘う意味合いです。

私たちは、休憩をとるときや気分転換に「お茶にしょう」と言います。
お茶を飲んでリラックスして再スタートします。

水道の蛇口をひねって水を飲むのと違い、お茶を飲む行為には、お茶を用意する人も、いただく人も、お茶と合わせて時間を味わいます。ゆったりとした時間の流れに気持ちを整え、次の行動の準備をしています。リラックスしながら集中力を高めているのです。

お茶を飲むには口を使うので、鼻で息をします。喫茶とは、呼吸を自然に整える作業なのです。時間管理とは、まさしくこの要領なのです。


時間とのつきあい方は、追いかけるか、追われるか、ふたつにひとつしかありません。追いかける人生は意欲的な日々の連鎖に鳴りますが、追われると人生から逃げるような日々になります。どこが違って追いかけるか、追われるかに分かれるのでしょう。


人間の身体は食べ物で出来ています。健康な身体は、身体によい食べ物で作られます。
健康を増進するには、習慣に偏らず、食べていいもの、食べたいもの、食べない方がいいもの、食べていけないものを分けて、組み換えが必要です。

時間も同じで、適切な組み換えをして追いかけ体質に変えます。
時間管理はお金と同じで、資産を管理するようなもの。
お金の使い方を分けると、投資、消費、浪費、感情費があります。感情費は、私の造語です。

投資とは、いますぐ必要でないけれど、将来に備えた重要で生産的なもの。学習などに充てる時間がそうです。
消費とは、いますぐに生活に必要かつ重要なもので、生産の基礎に充てる時間です。
浪費とは、重要ではないけれど、生産の基礎につながる時間です。
感情費とは、感情を処理するための時間です。重要でも必要でなく、生産につながらない時間です。感情費は、浪費のなかに潜む有意義な時間と区別するための造語です

そこで質問です。
同僚同士がふたり、仲良くチューハイを飲んでいました。ひとりは今日の疲れを癒し、明日の原動力にしょうと飲み、もうひとりは、今日の憂さ晴らし、明日も楽しくないなと考えて飲んでいます。お互いに2杯ずつ飲んで帰っていきました。

さて、この費用、仕分けしたら、どうなるでしょうか?それがここで言う「浪費」と「感情費」の違いです。前者が「浪費」、後者が「感情費」です。このように、投資、消費、浪費、感情費の分類は人によって違うことに注目が必要です。

そこで「見える化」の出番です。
見える化の概念を簡単に言うと「目的に合ったことだけしましょう」です。
私たちが見ているのは、「氷山の一角」です。見えているのはごく一部、見えていない方が多いものです。目的を達成するために、不要な見えている部分を捨て、代わりに見えていない部分から、目的達成の力になるものを持ってくることです。

つまり、投資、消費、浪費、感情費の分類が人によって違うのは、人によって目的が違うからです。言い換えると目的がはっきりしないので、時間のムダ遣いが起こっています。
感情費とは、その最たるもので、なにをしていいのか分からない不安な感情を鎮めるために使っている時間です。やることが分からないのにやる気を出そうとしてもムリです。このムリがムダとムラにつながっていて、行き過ぎると自身を破壊する可能性がある危険な時間です。

投資、消費、浪費、感情費の構成を変えるには、ルールに制限を持ち込むこと。
おもしろいことに「我慢」というと受身的ですが、「制限」に変えると主体的に感じます。つまり目的を持っていると同じ抑圧でも主体的になり、目的がないと受動的に変わります。

時間を追いかける、時間に追いかけられる、時間管理の違いも目的の有無からのこと。
それを可能にしているのは、目的に関係のないことは、粉雪を振り払うように寄せ付けないからです。集中はそこから始まります。目的はエネルギーになります。目的がエネルギーになるとは、自分のかたつむり化です。かたつむりは家と自分がひとつです。つまり自分のかたつむり化とは、目的と自分を一体化してしまうのです。過去も未来もなく、いまこの瞬間があるだけの状態になります。

人生とは時間そのもの。時間をどう使うかで豊かにも貧しくもなります。浪費に潜む感情費がどれほど占めているかで豊かさは変わります。










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