2012年9月30日日曜日

天地与我同根 万物与我一体/心開いて私はOK, あなたもOK



スタッフの意欲が低いと悩んでいる アサーティブなコミュニケーションの阻害要因となる人間関係。 

マネジャー(管理者)の悩みとして一番多いのが、スタッフの意欲が低いという問題です。どのように低いのかと聞くと、ほとんど同じように、もっと自主的にやってほしいということです。マネジャーの心中を察するとよく分かる悩みです。 

そこで、マネジャー諸氏に、スタッフの作業のプロセスに関心を持っていますかと問いただすと、同じように「それはほとんどない」と返ってきます。 つまり、複数の指示は出すものの、その後の作業進行中に関心を持っていないということです。

ですから結果には関心があるがプロセスの「確認」が非常に少ない状態です。マネジャーが関心を持っているのは主に「結果」だけのようです。 

禅に「天地与我同根 万物与我一体」・・・・「てんちとわれとどうこん ばんぶつとわれいったい」と読みます。すべては自分と他人は一体、同じ人間、同じ心を持っている同根であり優劣もなければ区別などできないという意味です。 

違和感を感じる方も多いかも知れませんが、大局観を持ってみれば大した違いがあるわけでもないので、心開いて本音で語り合えば似たような者。自分を大切にしたいように、相手のことも大切にしてあげればもっと相手のことも考えることができる。そうすれば損得勘定で考えることもないはず。

想像が現実を勝っていないかという戒めです。思い込みに振り回されずに、心を合わせるようにすれば人間関係も深まり、共感・共有も可能になるでしょうということです。 ところで、人間の交流パターンは以下の通り4つあります。

私はOK, あなたもOK(自己肯定、他者肯定)


・私はOK, あなたはNO(自己肯定、他者否定) 


・私はNO, あなたはOK(自己否定、他者肯定)

 
・私はNO, あなたもNO(自己否定、他者否定) 

この4つの内、どれかがあなたの基本的な対人及び自分自身との交流パターンです。基本的なコミュニケーションの構えともいえます。  

相手によって変わる場合があるように思っている方も多いと思いますが、相手が誰であっても、基本的な構えは変わりません。この基本的な構えの上に個別の対人関係が乗っていると考えてください。 

さて、あなたは4つの内のどれでしたでしょうか? 次に、もうひとつ質問です。
この4つの内、自分が幸福になれる交流パターンはどれでしょうか? 

あるいは、よい状態で、店の運営や会社の経営が行えるアサーティブな交流パターンはどれでしょうか?  

 自分や周囲を幸福にするアサーティブな交流パターン。 少し考えていただくと分かると思いますが、自分が幸福になれる交流パターン、あるいはよい状態で、会社の経営、部門、店の運営が行える交流パターンはひとつしかありません、 私はOK, あなたもOK
(自己肯定、他者肯定)だけです。 あなたの交流パターンと同じでしたか? 違う場合は、あなたの交流パターンは、いますぐ捨てるのが賢明です。私はOK, あなたもOK(自己肯定、他者肯定) 以外は持っていても役に立たないばかりか害になるばかりですので、全部廃棄してください。   

スタッフの意欲が低いと悩んでいるマネジャーに質問です。目的を持って育てようとしているか? 自主的にできるようにしょうとするなら、
自立している、しょうとしていることが欠かせません。

さて、スタッフの自主性の問題ですが、目的をもってスタッフを育てようとしているでしょうか? 具体的にどんなスタッフになってもらおうとしているのでしょうか? 「目先の作業をこなすことしか頭にない」そう語るマネジャーが大半です。  

自立させるように日常的に関わっているか重要になりますが、その点はいかがでしょうか? マネジャーが、自立させようと取り組まないと自立しません。 なぜならスタッフはマネジャーの指示で動くのが仕事だからです。 

ではなぜ、自立させようとしないのでしょうか?
自主的にやってほしいと願うなら、自立できるようにするのがいいはずです。 自主的にとは、「自立も自分でしないさい」ということなのでしょうか? もし、そういう人物を想定していたとしたら、
そういう部下でないと使えないというような状況であったら、私は、真っ先にマネジャーは不要でないのかと考えます。 

マネジャーの仕事は、部下を使って目標を達成することです。

その役割に集中していたら、「しかし」も「もし」も、考えるより先にどうすれば部下を思うように使えるか。 つまり目標達成に必要な部下の能力を引き出し、能力をフルに使うかに集中します。その前に、目標達成に必要な自分の能力を引き出し、能力をフルに使うかに集中します。 


その状態が、私はOK, あなたもOK(自己肯定、他者肯定)の出発点、アサーティブなコミュニケーションの必要な条件です。



2012年9月29日土曜日

一心不生/大きな問題は小さな問題のかたまり



「一心不生」・・・「いっしんふしょう」 
禅の言葉で、意味はある人には問題になるが、別の人には問題にならない。ほとんどの問題とはそういうものです。それを分別することなく、受け止め自分にとって、問題として考える。それを「一心不生」といいます。
私たちの仕事の現場はまさしくその典型的な場であり、そして多くの人は問題を共有するより、自分に関係のないことは無関心を装います。その結果個人にしわ寄せがいき頑張っている人、そうでない人が出てきます。
毎朝5時起床、帰宅は12時前。
もし自分の愛する人が毎日12時間以上働いているとしたらどう思いますか?

こんな仕事の仕方はどこか間違っていませんか?
単純に人手不足のせいでしょうか?
あるいは業績が芳しくないからでしょうか?
ただなんとなくそれが習慣のようになっているから?
どうしてそんなことになっているのでしょうか?

電話一本で、平気で休む人がいる一方で、その穴埋めに、多忙を極めたり、時間外労働を引き受ける人がいます。
有給休暇を取る人、取らない人。
同じ職場の同じ規律で働いて、どうしてそんなことがまかり通るのでしょうか?

生産性があがるような方法を教育もせず、訓練もせず、指示もせずにいて、利益が出ないのでと無理強いをする。
休みもとらず、給料もあがらず、ボーナスも少なく。その切なさの原因はなに?
自分が休まず、無理することに慣れていて、部下にもそれが当たり前の顔をする上司がいます。それはヘンなことだけど、上司はとってもいい人。

いつもどうすれば給料をあげられるかを考え、悪くても業界水準並みは払いたい。
それが出来ないのは経営者の恥と考える社長。
一方、 従業員と来たら、給料は自分で稼ぐものとは思うこともない。
予算自体 を甘く考え、単なる数字のゴロあわせですませて、焦点はボケたまま。
それをひたすらガマンして、文句も言わずに気を使う社長。
それってヘンです。

手伝い合うって言えば感じはいいけど、忙しければ、いつでも手伝ってくれるという甘えがはびこっているだけの職場。

実際は責任を考えたこともなく、自分の役割を果たそうともせずに、結局「フリーター、アルバイトだから」の言葉と意識で完結。
働く顔と遊ぶ顔は同一人物と思えないのはどうして?
それを注意したらチームワークが壊れるからって見て見ないふり。
それってヘンでしょう?
ヘンだと思うけど、波風立てるのもイヤだなってガマンする。
それで幸福になれるのかな?

ガマンして、ガマンして、結局、お互い不幸なだけじゃないですか?
どちらかがガマンするのではなく、両方が幸福になれる
【WIN-WIN】な方法ってないと思いますか?

自分の気持ちや考えを、率直に、誠実に表現することを抑えてしまうのはどうして。誰にとっても人生の主人公は自分です。

だれかにとってその他大勢かも知れないけれど、誰だってその他大勢ではない。
自分を大事にするから、同じように周りの人も大事にしてあげる。
具体的に、どうしたらいいのでしょうか?

その基本が「率直な自己表現」・・・つまり対等・率直・自己責任・誠実で構成された自己主張です。

「対等」であること。
「対等」というのは、自分が相手よりも上だとか、相手より下だとか、敵対的な考えにとらわれることなく、同じ立場の人間として向き合うことです。
仕事はチームワークで進めることが多いので 、役割で上下関係が出来たりします。しかしそれと人間であることは別です。役割上命令したり、されたりしても、人としては対等なのです。
対等な扱いをしない人は、自分より弱い人には見下しがち。なにより自分を自分で見下しては自分が可哀想。

「率直」であること。
「率直」とは、遠まわしな表現をしたり、くどくど言いわけしないで、気持ちや自分の意見をシンプルな言葉で表現することです。
自信がなかったり、責任回避をしようとすると、知らず知らずに率直さを欠いた表現になり、結局相手を遠ざけてしまいます。
「自己責任」であること。
「自己責任」とは、自分の行動は自分が選択する、その結果にも自分で責任を持つこと。人の言いなりになったり、人のせいにしないことです。
人に譲る人は、言葉にしないけど、人のせいにしてしまう。
気がついていないけれど、これが自分を疎外する原因になります。

「誠実」であること。
「誠実」とは、自分にも相手にも、正直に向き合うこと。
自分を抑えるのは、正直な自分を隠しているので、心から向き合うことがない。
だから相手はつまらないと感じます。
でも自分を抑えた人は相手のためにしたことと思っています。
だから気持ちがすれ違う。
いくら相手を思って抑えても、それを喜ばれることはありません。
心を向けずに表現するのは正直ではないので報われることはありません。

仕事をしていく上で、もっとも大きな力となるのは、働く意欲です。
働く意欲はもっとも率直な自己表現です。

日頃から自己主張を抑えていると瑞々しい意欲は失われていき、自分を自分で疎外することを促進してしまうのです。
アサーティブ。 つまり対等・率直・自己責任・誠実で構成された自己主張は、チームワークの源であり、チームワークとは自分の役割を果たせる集団のこと。
「一心不生」
大きな問題は小さな問題のかたまりなのです。ひとりひとり、ひとつひとつの小さな問題を放置するから、矛盾が生じてきます。つまりチームワークが機能していないから、最後にはだれの問題か分からない大きな問題になっているのです。
それを解決する糸口は我慢するのではなく、対立するのではなく、ひとりひとりが対等・率直・自己責任・誠実で小さな問題を放置しないことです。そうすると矛盾がなくなっていきます。

2012年9月28日金曜日

面壁九年/ひたすらの継続が自己効力感を育む




人生は選択の連続です。ただ選択するのではなく、いつも可能性が問題になります。
アサーティブ(積極的な自己表現)なコミュニケーションは自分のライフスキルによって可能性を開きます。
自分はやれると信じている自己効力感の高い人にとってはこの上ない楽しみになりますが、自己効力感の低い人にとっては、この「可能性」こそ頭痛の種なのです。

・衝動と抑制
・欲望と自制
・欲求の充足と不足

これらの差から生じる葛藤の処理能力は、自己効力感とダイレクトに結びついていてアサーションなスキルに影響します。

この差から生じる葛藤は、どこから来るのでしょう?比較するからです。自分と誰か。あるいは自分と理想。できていない自分と出来ているイメージ。やる気はあっても力があるとは思えない状況が葛藤の原因です。葛藤する人は、きっとやる気があり、真面目なのでしょう。しかし、コツコツが大切なことほど時間がかかるものです。続けることが成功の道のりなのです。

禅に「面壁九年」という言葉があります。「めんへきくねん」と読みます。何ごとも日々の精進の結果なのです。比較してあきらめるくらいなら比較しない方がいいのです。比較しても意味がありません。比較するなら、やり方の違いに注目すべきなのです。やる気があり、真面目なので葛藤するわけですから、その特長を活かして、やり方の違いを学べばプラスに作用することもあります。しかし、人はそれぞれ違うことも意識して、間違ったやり方を正すようにすればいいのです。「面壁九年」七福神でもおなじみの達磨和尚は中国の少林寺で9年間、壁に向かって坐禅していたと言います。投げ出さずにひたすらやるべきことに集中するのが成長の近道です。

葛藤の処理の仕方で、その人の一生の未来が容易に見えてしまうのも、自己効力感が繰り返しによって培われているためです。処理の仕方は、個人特有のもので、繰り返し行われる事で、その特性が強化されるからです。

衝動は感情とリンクしていて、不安をコントロールできる力は、精神活動のすべてに影響し、あらゆる場面で集中する意欲に影響を与えます。
コントロールできない者にとっても同じで、他のことに集中する意欲を妨げ、不安は知性を破壊します。
不安の強い人は作業にかかった途端に「その課題は自分にはできない可能性が高い」と予測するために、作業が進む前にギブアップしていることが多いので、真剣になれない、モチベーションが高くならない、継続出来ないといった負の連鎖が瞬く間に動き出します。

葛藤に向かい合ったときの処理の繰り返しがどのようにして起こっているのか、理解するうえで、とても分かりやすい事例をご紹介します。

幼児の無邪気な笑顔と要求から、生涯の生き方を予測することも可能です。
幼児は我慢が苦手ですが、我慢が自分の欲求を満たすポジティブな行為だと知った子どもは欲求を充足するために積極的に我慢を繰り返します。
そのプロセスでは、自分の感情も認識して、ストレスを処理しています。

つまりライフスキルの重要なスキルである<自己認識スキル>、<ストレスマネジメントスキル>を体験した上で、意志決定スキル、目標設定スキルを自分のものにしています。
その結果、自分の考えと行動を報告することで、保護者との間で効果的な.コミュニケーションを体験して、コミュニケーションスキル の心地よさを体験します。
我慢することで 獲得した心地よい体験は、繰り返されます。
幼いときの持続性を繰り返し体験することで、その特質は強化されます。

我慢できるタイプは成人すると社会性の高いグループに入ります。
一方、我慢できないタイプは、社会性が弱く、目標から後退することが多く、ストレスに弱く、小さい挫折に心が動揺、感情の起伏が激しく、その反動もあって強情だが優柔不断、自分をダメと決めつける傾向が強化されてしまいます。

幼いときの持続性を繰り返しの結果として、ストレスをバネにして、計画を立てて実行する力が強い楽観的なグループと、目標を持つことが苦手で、不安につぶれやすい悲観的なグループに大別できるようになります。
ストレスをバネにできる人とは希望を持つことができる人です。
希望とは楽観のことで、楽観とは計画を立てて達成のために気力を使える人、必要なら他者の援助やアドバイスを積極的に求めることができる人と定義出来ます。ストレスにつぶれる人は、この反対で、悲観的な人です。

悲観とは、一度挫折したらあきらめてしまうことが多いタイプ、自分をダメだと決めつけて、挫折しやすい。そのため逃げ腰になり、他者の援助やアドバイスを嫌います。
楽観的な人と悲観的な人では、ノーに対する感情処理能力に決定的な違いが発見できます。
楽観的な人は受け止め方が合理的で、ノーと言われても相手の虫の居所が悪いのか、あるいは自分のアプローチの仕方が悪るかったのか。
楽観的な人は、やれるように、やり直せばいいと考える事ができるので、PDCAのマネジメントサイクルをどんどんフルル回転できます。これが問題解決に拍車がかかる要因になり、解決が早まります。
悲観的な人は自分のせいだと決めつけ、思い込みが強く、この反対が起こりあきらめに走ります。あきらめる習慣はライフスキル全般に影を落とします。

しかも、自己効力感の違いは、集中力の違いになります。
たとえば、いままで取り組んだことのない講座に参加したとします。
聞いたことのない言葉、いままで知り合った人たちと違うタイプの人たち、このような雰囲気に呑み込まれ、自分には出来そうにないかも」と気になりだしたら、そればかり考えてしまい、講座は上の空。上の空なら誰でもマスターできないのが一般的ですが、隣の人は真剣に傾聴していて受講中は「できるか、できないか」について考えもせずに、ひたすら学んでいる。結果は明白です。
能力の違いではないのですが、片方は上の空だったために頭に入らない。
片方は傾聴した分、頭に入っている。結局、自己効力感が自己効力感を育む。楽観が楽観を育み、悲観が悲観を育む。つまり、幼いときの体験が繰り返し続いているのです。

ライフスキルの効用の意味は、なによりライフスキルの存在を認識することにあるといえます。そしてマスターすることが可能ということ。
その始まりは、時間を自分の意欲で塗りつぶすことです。

次の図をご覧ください。集中度と時間の関係性を示したイメージです。
















人はみんな24時間を授かっていますが、自分の持ち時間の使い方がそれぞれ違います。
図は起きている間の1日の12時間を表現していたとします。
黒が、集中した時間だとします。白は、その反対です。たとえばアルコールを飲んだせいで記憶にありませんという状態だとします。依存による時間の消費は、自分を忘れるための行為なので、ほとんどこれと同じです。

さて、問題は人には習慣性があり、毎日の行動を繰り返しているということです。
つまり黒の人は毎日黒、白の人は毎日白。これを両極端にしていろいろありますが、問題は毎日繰り返していることです。これが人生の差になります。まさしく人生の縮図です。

「面壁九年」ひたすらの継続が自己効力感を育みます。


2012年9月26日水曜日

無心/WIN-WINな関係を実現する



アサーション権の理解が役に立つ最大の理由は自分も相手も傷つけないコミュニケーションをするためです。よりポジティブな表現をすると、WIN-WINな関係を実現することです。
WIN-WINと言葉するのは簡単ですが、中国や韓国との領土問題を例にとっても、なかなか難しく、それぞれの主張を相手に押し付けているばかりでは、うまくいきません。

お客様との関係でも敵対的になることがあるのが現実です。どうしても自分の欲求や所属する集団の欲求に注目してしまうためで、うまくいくはずの商談でもまとまらなくなります。
WIN-WINはテクニックでなく、在り方ですので、本当にWIN-WINをめざす気持ちがないと意識もできないものです。ともすれば私たちは日頃から気にかけている家族との関係ですら、WIN-WINから離脱する傾向にあるので、注意が必要です。
禅に「無心」という言葉があります。自分の内にある一切のはかりごとを捨て、ひたすら祈る。そうすると自然に傾聴できて、周囲の人の心に自分の心が入っていけるようになります。障害物がなくなるからです。無心になれないとどうなるか、事例で考えてみましょう。
たとえば・・・・・
出かけていった子供が帰ってこない。親は心配する。いろいろ想像する。心配した挙げ句、知り合いに電話して確認する。緊張と疲労がピークになろうとした矢先に帰宅する。顔を見ると安心して抑えつけていた不安が怒りに変わります。

子供を罵倒する。いま何時だと思っているのだ。連絡くらいしろ、なにをしていたんだ。バカヤロー、帰ってくるな!心にない言葉が出てしまいます。叱られることを理不尽と思った子供は反撃する。誰がこんな家に帰ってくるものか。
相手の感情に注目せずに、つい自分の感情に注目して 互いに気持ちとは裏腹な言葉が飛び出し、とるべき行動を忘れる。本当は安心して抱きしめたい気持が反対の言動になっている。

コミュニケーションのまずさから不要な不安を引き起こしたその結末が、コミュニケーションの断絶によって、感情の表現と適切な行動が打ち切られる。残されたのは「感情的な行動」という混沌とした行動です。
たとえば・・・・・
幼いこどもと母親。お父さんを迎えに行った場所に、お父さんはいない。待ったけれど来ない。こどもは不安と寂しさから泣き出す。
「うるさいわね。すぐに来るから泣かないの」と言えば、子供はさらに泣きます。自分の気持ちを判ってもらえない悔しさから、今度は母親に向かって泣いている。

この瞬間、母親の取る態度によって、こどもは救われます。その事例。
別の母親は「悲しいのね。大丈夫よ。もうすぐ来るからね。”お父さんがいないから、悲しかったよ”って言ってやろうね。」子供は頷きながら泣き止みます。自分の感情を判ってもらえて安心したからです。
前者の母親は、自分の感情に注目しましたが、後者の母親はこどもの感情に注目しました。その結果、相手の行動も、自分の行動も正反対です。
自分の行動を変えれば結果はまったく違ったものになる。ビジネス・アサーティブがもっとも伝えたいことは、この違いです。

もっと相手の感情に注目してあげるとWin-Winは容易になります。
アサーションとは、ひとことで言うなら、人を大事にすることです。関連した言葉にアサーティブ、アサーティブネスがあり、微妙に意味が違います。それぞれ次のようになります。

【アサーション Assertion】 

   遠い関係のものが近づくようにする活動

【アサーティブ  Assertive】

   自他ともに大事にする表現をする

【アサーティブネス Assertiveness】

   自他ともに大事にされた実感の持てるWIN-WINな関係性
ビジネス・アサーティブの始まりは、コンセプトから。どのようなビジネスでも、共通しているのが人間に対するサービス業だということ。人間に対するサービス業でない仕事はないと言えます。すべての人に夢と感動を与えるものでなければ成功は難しいでしょう。なぜなら成功とは、すべての人に夢と感動を与えた結果でしかないからです。

2012年9月25日火曜日

時時勤払拭/世界は使われていないイエスで溢れている




時時勤払拭/世界は使われていないイエスで溢れている

私は、世界はまだ使われていないイエスで溢れていると感じています。

イエスとは、やった!、その通り!いいぞ!、野球やサッカーなどスポーツでのファインプレーに感じる気持ち、言葉。ビジネスシーンではWIN-WIN、笑顔や握手したくなる瞬間。

使われていないイエスとは、待ち望んでいる気持ち。イエスと言いたいけれど言えるような状況ではない。期待はずれ。 一体誰が暗いニュースを聞きたいものか。
つまり、こちらの出方で相手はいつでもイエスという状況にある。みんなウズウズしている。
禅に「時時勤払拭」という言葉があります。時時、つまり常に邪念、妄想を払い拭き、心を汚さずに勤めることで、自分本来の清らかさが表れるという意味です。自分の在り方でプロセスが変わり、結果も変わります。なにごとも自分次第なのです。自分の足下を清らかにして取り組むことこそ始まり。つまり精進することです。
これをあなたの仕事に照らせば、ひたすら顧客を想い、顧客があなたに出会えてよかったと思える会社作り、店作り、仕事作りをした上で、知ってもらえるように告知する。告知で知ってもらうのは、「一生懸命の生業」で、それを通して、体験でもって会社作り、店作り、仕事作りの結果を伝えて感動していただくことにつきます。これこそがアサーティブ(積極的自己表現)の本質なのです。
しかし現実は、会社作り、店作り、仕事作りをせずに、アリバイづくりのような告知をもって告知していますという。何から何まで他人事なのです。邪念、妄想に自身を曇らせていて全然清らかでない。全然アサーティブではない。冒頭に言ったように、”つまり、こちらの出方で相手はいつでもイエスという状況にある。みんなウズウズしている。使われていないイエスで溢れている”という次第なのです。

教育、治安、モラル、マナーは音を立てて崩れる勢い。危機感から「美しい国づくり」「生きる力の再生」と言った首相をよってたかって潰しにかかったのは数年前。一国の総理に、そこまで言わせたのは他ならぬ国民の責任なのです。
しかしメディアが叩けば、同じように石を投げる。批判するのは簡単だが、良識あるはずの評論家までケチをつける。批判するなら代替案のひとつも出すべきところだが、それもないままに、リベラルなあの人も批判していると無自覚に相乗りして批判する。

人間の品性が失われる状況にあって「美しい国づくり」がなぜ悪い?どのような良識なのか疑いは晴れないままに去り、「こいつら」「あいつら」と下品極まりない表現の評論家が人気を博すのは「美しい国」をあざ笑ったメディアならではの当然のおぞましさか。

そう思っていたら、同じ意味のことを書いている方がいました。他界された阿久悠氏が、その著書「清らかな厭世」で怒っているのです。
「悪いのは社会だ時代だ いや制度だと言っているけど つまりは一人一人の哲学だよ」と題したページに、『無関心、無軌道、無気力、無神経、無責任、無恥、無茶、無定見、無頓着、無表情、無理無体、そして無礼とバラエティーに富んでいる。思えば不気味の初期は「三無主義」といった。』

さらに続けている。「勤勉と正直と正確を野暮だと嘲ったら只の怠け者の国になる」「勤勉と遊蕩の値打ちがいつの間にか逆転し真面目の生き場所がない」阿久悠氏の他界が悔やまれます。
労働は悪、休息と消費こそ美徳のようなわけの分からん、かっての真っ逆さまの価値観がまかり通るかと思えば、経済危機の嵐。メデャアはいたずらに不安をあおりたてる。ご丁寧に音楽入りでドラマ仕立てで恐怖心をあおる。危機と無の山を前にして、なのをどうするか、ビジネスと向き合う人にとっては、気概が問われる正念場。

で、どうするか。まず原点に立つ。

人は誰でも価値ある者と思いたい、思われたいと思うものです。これこそが原点。
世界中、どこに言っても読み書きをする地域の人々にとって、すべての活動は、そのためにあると言って過言ではありません。先進国であればあるほど、その傾向は強い。

だから、なにを目指すかは明白です。価値ある存在だと知らせてあげればいい。それをきちんと届けられたら、商売は間違いなく繁盛します。

どのようにして届けたらいいのか、そこが難しいと言うより先に、まずは思い出していただきたい。

あなたの会社に、あなたの営業所に、お客様を称える、励ます、応援する習慣があったかどうか。サービスを良くしろではない、人と人の関係性の問題としてです。昨今言われるホスピタリティ。

繰り返しますが、人は誰でも、価値ある者と思いたい、思われたいと思うものです。
自分が大切にされてないと感じると心ばかりか、体調までおかしくなることが少なくありません。大切にされていないと感じると、その原因を自分が劣っているからだと思うこともあります。

だからどんな店が衰退し、繁盛するかは明白なのです。それがどれだけ多くの方に届けられるか、一番の課題です。知ってもらわないとお客様は動けない。しかし肝心の顧客もあなたに無関心です。つまり必要なのは告知です。それさえできれば間違いなく繁盛します。誰かが、ここでは売れないと言った店でも立派に繁盛する。

さて、あなたは価値ある存在だと知らせてあげればいい。それをきちんと届けられたら繁盛すると言いましたが、ほとんどの方は、それが質と量の両方でできない、できていないのも事実です。勘違いをされるからです。

お客様のメリットをズラズラ並べる。それを実行しようとする。しかし、うまくいかない。メリットを提供しているのにうまくいかないから、理由が分からなくなります。
重要なポイントです。
◎メリットの提供ではメリットにならないのです。心が動いたことがメリットなのです。

昨年、日本人なら誰でもご存知の企業が展開している店舗を見てほしいと言われ、問題を指摘。改装に踏みきったところ、売り上げはまたたく間に倍になり、その後も上昇中で満席続きです。それでかなり満足されていますが、実は倍や3倍ではダメなのです。結果オーライの事実前提の経営をしているとそうなる。まだまだあなたは価値ある存在と伝えていないのです。それを伝えたら、4~6倍になるポテンシャルが潜んでいるので、行列のできる店になります。

人に注目しましよう。
人は誰でも価値ある者と思いたい、思われたいと思っています。その切実にあって、何ごとにも失敗してはいけないと思っている方、自分の欲求や希望を伝えるのも、控え目にするべきだと考えている方、感情を表現を抑圧してしまう方もいます。疲れ、落ち込み、腹立ち、寂しさ、嬉しいことさえも表現してはいけないと思っている方も少なくありません。

外部評価による力、たとえば役割、地位、さらに自分ではどうにもできないことである年齢、性などによる固定化したイメージによる行動に終始して、自分の内なる力を使わないままに自信を失っているかもしれません。



この方たちは、あなたはすばらしいと言われるのを待っています。しかし、売る側は伝えていないし、伝え方も悪い。つまり、この世界には、まだ使われていない「イエス」、使いたくてウズウズしている「イエス」が溢れています。

ビジネス・アサーションで言う「YES, 」を救いに行く。
では、次に溢れている「YES」を救いに行くキーワードをご説明します。


2012年9月24日月曜日

萬法一如/9つのアサーション権〜9.周囲の期待に応えなくて良い権利





萬法一如/9つのアサーション権
9.周囲の期待に応えなくて良い権利

萬法一如」「ばんぼういちにょ」と読みます。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。ビジネスの世界で説明すると以下のようになります。9つのアサーション権は「萬法一如」の基礎となるものです。


アサーション権

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。


人からなにかを期待されて、それを察することができても、それに応えなくなくてもいい権利です。期待するのは相手の勝手であって自分のことは自分で決めればいいのです。

この背景には、相手の期待に応えたとして、相手が自分の期待に応えてくれるかどうか定かではありません。もし応えてくれなかったときには、あなたには怒りの感情が起こってくるでしょう。そのような可能性も考慮して、人からなにかを期待されて、それを察することができても、それに応えなくなくてもいいとしています。

人の期待を察して応えたいと思うときは、GIVE&GIVENのポリシーがきちんと自分に備わっていることが条件になります。
そうでないと自分はこれだけのことをしたのにとGIVE&TAKEを求めて、相手を責めたり、失望から自信喪失、自己嫌悪になったりすることも少なくありません。
それでは、人からなにかを期待された段階で自分が相手に期待しているGIVE&TAKEがスタートになります。周囲の期待に応えるもの、応えないのも、共同体における自分の選択であって、GIVE&TAKEという交換ではないのです。
自分の考え、自分の気持ちで動く自由な精神を汚したくないものです。自由を尊ぶ気持ちを大切にしてこそ相手にも束縛を感じさせないコミュニケーションが可能になります。
周囲の期待を考えるときに、ヒントになる話があります。

ジャン・コクトーの映画、ディズニーのアニメにもなったボーモン夫人の有名なおとぎ話「美女と野獣」です。この物語は解釈が人によって違うと思いますが、長い時を経ても輝きをなくさないのは、普遍的な重大な原則を秘めているからです。
野獣である王子は最後に美しい王子になって終わります。その結果に焦点をあてると誤解してしまいます。
美しい王子になったのはベルという娘が野獣の王子をそのまま受け入れたからです。ベルは野獣に変貌することを求めませんでした。だから最後に変化が起こったのです。
私たちは、とかく他者に「あなたさえ変わってくれたら、私は幸福になれるのだから」と変化を要求します。
こども、パートナーにはじまって同僚、上司、部下など、要求の強さは立場によって違っても、幸福は相手次第と言わんばかりに自分以外に変化を要求します。
でも実際は、自分の行動で自分は幸福になれるものです。自分の判断と行動は自分が選択できます。選択次第に自分を幸福にできます。「美女と野獣」はそれを伝えて物語です。
アサーションで言う「周囲の期待に応えなくて良い権利」とは、ひとは自分の行動で幸福になれるということの裏返しにすぎないのです。
これらのアサーション権は因果関係があり全部関連しています。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】
ビジネスシーンでは、周囲の期待に応えなくて良い権利との遭遇の連続です。「利益」を追うもの同士が向き合うわけですから、相手が自分の期待に応えてくれるかどうか定かではないことへ向き合う日々です。
そこでストレスを感じる目標を達成するには、GIVE&GIVENをポリシーにWIN-WIN を追求することが欠かせません、
アサーション権について
アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
    2.他者と違う自分の価値観を大切にする権利
    3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
   4.論理的な説明できなくてもいい権利
 


2012年9月23日日曜日

萬法一如/9つのアサーション権〜8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利


萬法一如/9つのアサーション権〜8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利




萬法一如」「ばんぼういちにょ」と読みます。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。ビジネスの世界で説明すると以下のようになります。9つのアサーション権は「萬法一如」の基礎となるものです。


アサーション権

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 
1.自分の行動を自分で選択して実行する権利

 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利

私たちは誰もが、周囲の人々の期待に応えるかどうか、自分がどんなふうに感じ、どう考え、どんな行動をとるか、自分が決めたり、判断してよく、その結果についても、自律的に責任を取ることが許されています。

つまり、自分の行動の選択と判断について、最終責任者は自分だということです。
自分の感じ方、考え方は自分のものであり、他人がどう思おうと、他人と同じ感じ方や考え方をしなくてもいいのです。また、それを主張する権利も、変える権利も自分が持っています。
同じく他者も自分と同じように、自分の行動を決める権利をもっています。つまり誰もが他者を変えることも、コントロールすることもできないことを意味しています。
さて、この考え方をビジネスの現場に反映したらどうなるでしょうか?
今日は結婚記念日、パートナーと外食の約束をしています。プレゼントも購入しています。さあ、気持ちもワクワクと帰ろうとしたときに、上司が食事の誘いをしてきました。
個人的な意見も聴きたいとのことです。断ることに申し訳ない気持ちもあって曖昧ですが「今日は、ちょっと」と、早く帰りたいメッセージを送りました。上司は「久しぶりなんだから、ちょっとぐらいいいじゃないか」と誘ってきました。相手の気持ちを察すると、誘いに乗っても断っても、どちらを選んでも後味がすっきりしません。
こんなとき、あなたはどうしますか。
パートナーと上司への配慮、いやな気分にさせない説明と断り方、約束した後悔などが整理出来ないまま混乱が脳裏を走りますが、それらに意味があるわけでなく、自分が意味付けをしているだけです。
つまり相手の行動の問題ではなく、自身の感じ方(意味付け)の問題なのです。
自分の選択に意味付けするのは自分しかいないということです。どちらを選んでも決めたのは自分なので、パートナーや上司のせいにしてはいけないのです。
重要なポイントは、どちらを選択しても、選択した以上は自分の行動に責任をとるのが気持ちのよい過ごし方ができます。
つまり、いまこの瞬間に集中して、上司と行くなら上司とのコミュニケーションを大切に過ごせばよく、パートナーとの約束を守るならパートナーとの時間を大切に過ごせばいいのです。
自分が選択した行動を力の限り実行するのがアサーション権を守ることです。それが人として生きることだと思います。
ある行動を選択したために、選ばなかった行動や相手を気にすることは、気遣っていると解釈する方もいるでしょうが、それは間違いで、自分が自分の行動に責任をとっていないだけのことなのです。
これが残業の要請だったら、どうなるでしょう?やはり同じです。重要なことは、いまこの瞬間に集中して過ごせる選択をすることです。
どちらを選択しても、いまこの瞬間に集中して過ごせないというのは選択が問題ではないのです。自分の行動に責任を持とうとしないことが問題なのです。自分の考え方、感じ方の問題なのです。アサーション権を認識していないと気持ちが引き裂かれそうになるかもし知れませんが、認識していたら考えに混乱が起こらないので選択に迷いが生じません。選択に迷いがなければ、いまこの瞬間に集中して過ごせるようになります。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】

それは分かるけれど、ちよっと待ってくれ、「どうしてもやり遂げる必要のあるときに残業を拒絶されると困るよ」という意見もあるでしょう。
組織(集団、チーム)は、目標があります。その目標を達成することを目的に人が集結しています。自分の役割を果たすことが必要条件です。それを基本に考えると答えが見えてきます。
目標を達成するには、意欲が必要です。烏合の衆では意味がありませんが、意欲がなくても問題視しないのは生産性で測れます。没頭力、違う言い方をすればいまこの瞬間に集中することができるかどうか、それを明文化していることが前提条件です。
明文化して、その実行を評価していれば、この瞬間に集中して過ごせない選択をしなくなります。行動にメリハリ、つまり責任感が行動に伴いますので選択もそれに準じます。
アサーティブなコミュニケーションが風土として定着するようになります。つまり働きがい、やりがいのある職場になるので、目標達成力もアップし、離職率は下がります。風土化することで、さらに外部(ユーザ、仕入先、共同体)との関係性においてもアサーションを可能にしてWIN-WINな関係を創る力がつきます。
この逆が渋々残業するチームです。このようなチームではイヤな顔をしないことが尊ばれますが、本当に大事なのは見せかけの表情、態度ではなく、行動の充実度であって、実態は生産性に表れます。ユーザ、仕入先、共同体との関係性も芳しいものにはなりません。
チームとして、他に抑えておきたいポイント。
●自分の役割を果たせないために周囲の人に迷惑がかかることは許されません。もし能力の不足があるなら不足の充足をして、周囲に手伝ってもらう状況を一刻も早く克服するようにします。能力の不足の発見と充足がチームリーダーの仕事です。
●手伝うひとは、手伝いに使う時間を別のことに使えた時間です。手伝うひとのスキルアップを妨害することになります。
これが仕組み化してしまうと全員がスキルアップしない職場になります。部下が成長しないのでチームリーダーはいつまでも同じポストをキープできますが、時代は刻一刻、変化、進化し続けるので、チームの劣化が必然になります。
手伝ってもらわないとできないようなひとが集まったチームは使い物にならないチームになります。
チームとしてアサーション権を守ることが生産性、人材育成力に影響することに留意したいものです。
冒頭に説明したように、このアサーション権は、誰もが他者を変えることも、コントロールすることもできないことを意味しています。
しかし、このアサーション権の遵守によって、自律的に他者が変わる、自主的に参加する可能性を現実のものにします。

「与えよ、さらば与えられん」・・・・但し GIVE&TAKEではありません。GIVE&GIVENです。



アサーション権

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 
1.自分の行動を自分で選択して実行する権利

 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利




2012年9月22日土曜日

萬法一如/9つのアサーション権〜7.自分の考えや意見、行動を変更する権利



萬法一如/9つのアサーション権
〜7.自分の考えや意見、行動を変更する権利


萬法一如」「ばんぼういちにょ」と読みます。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。ビジネスの世界で説明すると以下のようになります。9つのアサーション権は「萬法一如」の基礎となるものです。


アサーション権

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワン/ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 
1.自分の行動を自分で選択して実行する権利

 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利

一旦決めたことは変更してもいい。
人の考え、感情、意見は変わりますので、それに伴い行動も変わります。
一旦決めたことは変えてはいけないという思い込み、決めつけは目的・目標達成、人間関係をより良いものにする上で欠かせない誠実と思い込んでいる人が少なくありません。確かにそうでもありますが、「朝令暮改」という言葉があるようにそうでない場合もあります。マネジメントをする上で根拠ある「朝令暮改」は必然です。

より良い状況に変えていくとき、たとえばPDCA(計画→実行→検証→是正)のマネジメント・サイクルを循環させる場合、PDCAは迅速さが命ですから、カイゼン、カイゼンの連続になるので、変更の連続が起こります。変更が起こらないマネジメントはマネジメントでないというようなことが普通に起こります。

但し、正解を見つける目的もなしに、失敗を繰り返す、朝令暮改を繰り返すとしたら、それは問題です。「頑張ります」と心意気でぶつかろうとする方がいますが、答えも仮説もなしに、ただ目標に挑戦するというのはあまりにも拙い愚行です。物事の仕組みが根本的に判っていないので、仕事の仕方や考える技術にルールがあることを判っていないのです。PDCA(計画→実行→検証→是正)を展開するには、正しい理解が必要です。

そもそもPLAN(計画)とは、答えを知っていることが前提です。つまりPLAN(計画)とは正解のことで、答えも判らないまま取り組むというのは無謀なのです。(意気込みだけで取り組む場合がそれです)しかし人間は神様ではないの
で、判らない場合もあります。

そのときはPLANに仮説を使います。仮説はあくまで仮説ですが、仮説がないよりは仮説があったほうが停滞を防げます。ひとつの間違いの発見は正解に近づいたことを意味します。その繰り返しをPDCA(計画→実行→検証→是正)で実行しますが、失敗は失敗はであることに変わりはないので、迅速さが必要です。迅速さが大事なのは、早く正解を発見しなければならないからです。
また仮説がピント外れにならないように、仮説を引き出すツールを使います。ツールはいくつもありますが、状況に適したツールを使うようにします。
この件については、「コミュニケーション力」の問題として後ほど説明します。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】

いまのような変化の早い時代、刻一刻の変化に対応するには、朝令暮改は当たり前で、朝礼朝改もあり得るのです。
一旦決めた以上は変えられないなんて言ってると仕事になりません。

過去にあるルールを決めて取り組んだことでも、状況に応じてルール変更するのは自然なことです。変更の際に注意したいのは、先に出した指示命令など連絡した内容を誰にも分かるような形で撤回することです。変更で問題になるのは以前の内容と新しい内容が混在することです。これでは指示命令された側はどうしていいのか分からなくなり、ひとによってこれでいいのだろうという案配で仕事します。これは問題です。

こうした間違いを未然に防ぐには、どの指示を撤回し、新たにこちらの指示を遵守するようにしてほしいと、誰にも分かるように文書で流布することが欠かせません。

アサーション権
アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワン/ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利


 

2012年9月20日木曜日

萬法一如/9つのアサーション権 〜6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利



萬法一如/9つのアサーション権
6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利

萬法一如」「ばんぼういちにょ」と読みます。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。ビジネスの世界で説明すると以下のようになります。9つのアサーション権は「萬法一如」の基礎となるものです。


アサーション権

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 
1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利
「間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利」・・・・このアサーション権は、「人間である権利」そのものともいわれます。
すなわち、神ならぬ人間は神様ではありません。完壁でないのが普通です。
完璧な神でない人間は、失敗はしてもいいのです。さらに、その結果に対して責任を取ってもいいのです。そういうと身を引いてしまう方がいると思いますが、責任に対する判断が違うからです。

失敗の責任を取ることは、結果を自分が引き受けるということですが、可能な範囲と可能でない範囲があります。失敗に対して義務として取る必要はありませんが、自律的に可能な範囲において責任を引き受けるという意味です。これならどうでしょう?できると思いませんか?
もし責任を義務として引き受けるなら返すことができない失敗はできないことになります。これでは二度としたいと思わないでしょう。失敗の責任は、成功しかないことになります。似たようなことにならないように他の件でも避けるようになります。
【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】

しかし、ちょっと待ってくれ、失敗してはならないからと言って、可能な範囲で責任を引き受けたらいいなんて、そんなユルいこと言ってると大変なことになる・・・・という意見もあるでしょう。
さて、この問題を職場やビジネスの現場で扱う時、どう考えたらいいのでしょうか?
自律的に可能な範囲において責任を引き受けることは、途中で放棄しないで、成功するまでやり続けることを意味します。
もし、失敗はできないと考えていたなら、失敗する人間はダメ人間という評価になります。自分をダメ人間とは思いたくないので、失敗を認めることができなくなります。合理的でない言い訳したり、失敗したことを隠すようになります。ごまかす、隠す、避けるということが連鎖して起こるようになってしまいます。
個人の場合もそうですが、集団の場合では特に目標は重要になります。目標はひとりひとり違う価値観を束ね具体化したものだからです。つまり目標とは全員に共通した価値観と言えますが、その目標が崩壊してしまいます。
もし失敗してはならないという前提でものごとを進めると、責任を取ることが義務になります。すると、まず集団を構成する人々の行為は自律的でなくなります。自律的でないとは、上司から言われるからやっているという状態になります。
さらに自分がダメというレッテルをはられたくない心理が働くので、成功の可能性が保証されていないことはしたくなrくなります。

義務としての責任がともなうことはしたくなくなるので、目標は形ばかりのものになり、結果主義(事実前提の経営)に陥ります。つまり出来高主義です。
建前としての見せかけの目標はあっても、事実は人が成長する仕組みを集団から骨抜きにします。共通した価値観を持たない目標のない集団とは烏合の衆だからです。この隠された事実によって組織と従事するひとは壊滅的な痛手を被ります。
組織は失敗が問題ではなく、成功しないことが問題なのです。
成功するために組織はあるのです。だから失敗してもいいから絶対に成功しろというのが健全なのです。
成功するまで失敗を繰り返せばいいのです。その防波堤として期限があります。
修正を加え、やり直してみる、うまくいかない、さらに修正を加えやり直す。この頻度をどれだけ高めるか、迅速さが期限によって問われます。
責任を引き受けたいか、引き受けたくないかは、その迅速さと密度の高さで顕著な差をみせます。その違いが自己肯定感になって表れますが、その発端は失敗と責任の解釈の違いにあるのです。
何度やってもうまくいかない場合もあります。その場合はどうなるのか?
やり直してもやり直しても出来ないことによって、それが自分にはうまくできないことが判るようになります。それはできない、しないほうがいいという見極めができるので、断る力がつきます。さんざんやり直した結果の判断ですので、気分や思いつきの回答ではありません。それも責任ある行動なのです。
自他ともに肯定できるようになるので、嫉妬から出来る人に敵対心を持ったり、誹謗中傷するようなこともありません。
結果主義で成功することしかしない人、一度の失敗でやり直すこともしなかった人は、自信がないままに、何事にも引っ込み思案になります。自信のなさを隠すために、自分を守ることにエネルギーをい使うので、健全なコミュニケーションができなくなります。体験さえしなくなるので、成長が止まるだけでなく、時代の変化や進化とも距離を置くことになるので、実際には自身が劣化してしまいます。
「人間である権利」そのものを使わないために起こる悲劇なのです。
その悲劇を回避する意味でも、間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利は積極的に使うようにしたいものです。


アサーション権について

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 
1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利

萬法一如/9つのアサーション権 〜5. 自分の意見を主張しない権利



萬法一如/9つのアサーション権
5. 自分の意見を主張しない権利

萬法一如」「ばんぼういちにょ」と読みます。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。ビジネスの世界で説明すると以下のようになります。9つのアサーション権は「萬法一如」の基礎となるものです。


アサーション権について
アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利

自分の意見を主張しない権利とは、ノン・アサーティブでいる権利です。
アサーティブの重要なポイントにひとつはニュートラルでいることがあります。
つまり白か黒か、イエスかノーかで決めつけないないということで、他者の期待に応えなくてもいい権利や論理的な説明できなくてもいい権利に共通して通じています。

それでも「自分の意見を主張しない権利」をリストに入れるのは、「アサーション、アサーティブを学ぶと、アサーティブでなければならない」と決めつけたり思い込む方がたくさんいるからです。

アサーティブでなければならないと決めつけるのは、すでにアサーティブではありません。アサーティブであることは、積極的に自分を主張しないノンアサーティブでいることも含めてなのです。
自分の意見を主張しない権利の行使には、それによる責任も引き受けます。たとえば、本心では相手にやってほしいけど、自分が相手に頼まないことによって、相手がそれをしなかった場合、相手を責めたり恨んだりしてはいけないということです。

自分の気持ちを察してくれなかった、気配りしなかったと文句を言ってはいけないのです。恋愛の場合、好きな相手に心情を告白するのも、自分が自律的に判断するのがアサーティブです。

それを会社、たとえば営業職にはめこむとどうなるのでしょう。
新規開拓をしてくるも、してこないものアサーティブということになるでしょうか?あるいは会議で意見を出すのも出さないのもアサーティブでしょうか?

まず、表現には、言語表現と非言語表現があります。言わなかった、言った覚えはない」確かに言葉では表現しなかったけれど、非言語、つまり態度・表情で表現することはあります。言葉以上に非言語表現によってコミュニケーションしています。表情、視線、身振り、声の大きさと高さ、言葉遣い、さらに身だしも非言語表現に数えられます。言葉を使わずに、何を考えているのか、いろいろな情報を発信したり受け取っています。

私たちは言葉以外からも推測しながらコミュニケーションしているのです。
それが、非言語的表現。言葉にしなかったけれど、表情で伝えることは少なくありません。それを後から「そんなこと言ってない」と反論するのはルール違反です。
さらに他の人が言ったから自分は言わなかった。これも立派な主張です。

たとえば、分からないことはありませんか?質問はありませんか?と尋ねたことに対して、はい、ありませんと回答したり、黙っている場合も意見を表明したのと同じです。それを後になって、分からないというのはルール違反でしかありません。

アサーション権、人権は、共同体に暮らす人間同士が互いに幸福で健全な暮らしを営むための技術を、万人に使うことを奨励したものです。ですから、どんな場合も相互尊重が働いているのがルールです。

自分は使うけれど、相手の権利にはおかまいなしというのは、アサーション権の無視です。自分の意見を主張しない権利を行使するときには、そのことを忘れずに、意見を主張しないけれど、それ自体が意見を主張していることでもあることに配慮するようにしましょう。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】

先にあげたように、それを会社、たとえば営業職にはめこむとどうなるのでしょう。新規開拓をしてくるも、してこないものアサーティブということになるでしょうか?会社はチームワークが基本ですから、その責任を個人で引き受けるではすまない場合があります。

たとえば、野球に置き換えたら、二塁を守っているのに、二塁に飛んで来た打球をとらなかったとしたら、チームワークになりません。自分の役割は自分が果たすのがチームワークです。
自分が意見を主張しないことによって、どんな意見を主張しているのかを認識するようにしたいものです。

言葉にして主張するのも、非言語で主張するのも、どちらも使わずに主張するのも、相互尊重の精神のもとにあることが指針になります。

上司が感情的になっているときに、アサーティブに関わるとかえって火に油を注ぐことになりますし、社内・社外を問わずアサーティブに主張しても時間のロスというような場合もあります。
自分だけでなく意見を言いたくない、あるいは宴会えカラオケを要求されたけれど歌いたくないというひとに、相手にも主張しない権利があるのですから、要求しないのもアサーティブなのです。

アサーション権について
アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利




2012年9月19日水曜日

萬法一如/9つのアサーション権〜4.論理的な説明できなくてもいい権利



萬法一如/9つのアサーション権
4.論理的な説明できなくてもいい権利




禅の言葉「萬法一如」・・・・「ばんぼういちにょ」と読みます。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。ビジネスの世界で説明すると、9つのアサーション権は「萬法一如」の基礎となるものです。


アサーション権について
アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利

では今回は、論理的な説明できなくてもいい権利について説明していきましょう。
論理的というのは、バラバラに見えることや、関係性がないように思えることに関連性や共通性を見いだして、いまだ明確に解明されていないことや、これから起こることを分析、高い確率で推察することです。
いわゆる思いつきではありませんが、「論理的」の反対のポジションに直感があります。

人間はどうしょうもなく非合理的な生き物ですが、合理的に物事を進めることで円滑な活動を展開しょうとします。時に矛盾が生じるのは当然ともいえます。理屈で説明出来ないことが出てきます。人間は勘やひらめきで行動してもいいのです。自分の行動に他者の承認が必要なわけではないので、自分の行動を言葉で説明できなくてもいいのです。時には直感がもっともすぐれた判断基準になることがあります。
その説明を自分自身に問いかけても答えが出ないことはあります。それは論理的でなくても体験の積み重ねでひらめくデータベースなのです。言葉で説明できなくても自分の内では整合性がとれていることもありますが、整合性がとれてなくてもいいのです。

注意したいのは感情の表現はしてもいいけれど、感情的な行動は自分と周囲の人を傷つけてしまうことが多い点です。感情的な行動を少なくする方法は、感情を言葉で表現することです。感情を言葉にするには、まず自分の感情を認識します。ところが実はそれが結構、難しいのです。

感情的な行動をする人は、感じたことをワンクッション、間を置いて、どういう行動をするのがいいか考えることがなく、感じたことをそのまま行動に移してしまう点で問題なのです。時間にすればわずかな間ですが、自分の不安や不満に注目してしまい、どうするのがいいか相手目線で考えることを忘れてしまうのです。

考えて行動に移す場合は時間がありますが、その場合も感情的な決定をしてそれを行動に移しているだけなので、実際には自分の感情への注目だけで、ワンクッション、間を置いて相手目線で考えることが抜け落ちます。

相手目線で考えることは自分の感情を疎かにするわけではありません。人は他の人との間で暮らしていますので、愛し愛され、信頼し信頼され、双方向のWIN-WINな良い関係を求めているのが自然体です。相手目線で考えることは自分の感情を正直に表現するためなのです。
しかし、人は価値観が違いますし、立場や境遇の違いがあるので、望んでもできないことがあるのが普通なのです。これは仕事しているときも同じで、思うようにならないことが山ほどあります。そのなかで精一杯生きて、表現し、限界とそこにいる人の距離を思いやるのが自分を大切にすることに他なりません。

マートワンが提唱するビジネス・アサーションの中心になっているスイッチチェンジとは、物の見方を変えて最善、最適な行動をすることです。

感情的な行動も論理的な説明ができないことが多いのですが、これは論理的に説明できないと言うより、的確にとらえることが苦手だからです。感情を認識する訓練を日頃からしていると説明できるようになります。この場合は、自分が最適な行動をとれるようにするために、自分に説明できるようになったほうがいいのです。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】
ここでいう論理的な説明について、事例をあげます。
かって私が会社勤めをしていたとき、自分の部下(店舗責任者)の様子に疑問と不安を感じた私は、非公式に食事の時間を用意し会談しました。会談と言っても、昔話などを交えて「最近どうよ?」というとりとめのない内容で緊張するな内容は一切ありませんでした。
しかし私は金銭トラブルとその原因となるような問題が潜んでいることを直感で感じました。
そこでその翌日、店舗に赴くアポをしました。理由は言わなかったのですが、その時刻に行くと留守でスタッフに所在を確かめると返答は「昼食に行ったままです」と何気ない返答です。その瞬間、彼は逃げたと思い、即、新幹線の駅と空港の駐車場を手分けして探す指示を出し、同時に家族に連絡をしました。

家族の方を含め、全員がなぜ?探しているのか疑問を持っていましたが、私が懸念したのは自殺と逃亡でした。結局、新幹線駅で発見でき、家族は理由も分からないまま途方に暮れるばかりでしたが、私は調査を続けて、そのプロセスを全部解明しました。数ヶ月後、連絡がとれ、家族と共に会いましたが、自分の判断に違いはありませんでした。

私は、このような事例を、数えきれないくらいほどたくさん体験してきました。自分でも霊感能力があるかのように思うことがあります。しかしそうではなく、自分は科学的、合理的だと思っています。

会社はたくさんの人間がいるのでドラマの置き場のような場所です。三面記事になるようなことは他人事ではなく、身近に起こるは確率の問題として当たり前ですが、そのひとつひとつに論理的な説明をしていては対処できません。
直感から追求して論理的な説明がつくというプロセスは珍しいことではなく、トラブルを未然に防ぐためには直感やひらめきは大切にしたいものです。

ある人間のひとこと、ひとつの冗談、ひとつの挨拶が、ただそれだけの意味でない瞬間があります。それは抱えた重みに耐えきれず助けを求める瞬間であることが少なくないからです。
直感やひらめきがどこから生じるかというと「人間」という生き物の原理原則だと思います。原理原則とは膨大なデータベースから導きだされた確率です。そのデータベースと、自分の目の前の現象を突き合わせると、確率から答えを発見できます。
注意力を研ぎすましていると、ほとんど狂いがない答えが出ます。仮に外れても危機管理の点で有効なのです。

大事なことは、単なる勘だからということで切り捨てず、自分の内に生じた直感を自分が信じられるかどうかです。
直感やひらめきは知と身体に続く第三の力として、マーケティング、マネジメント、危機管理に活用出来ます。
 アサーション権について
アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 
1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利


2012年9月17日月曜日

萬法一如/9つのアサーション権〜3.不完全であってもいい権利




萬法一如/9つのアサーション権
〜3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利


萬法一如」「ばんぼういちにょ」と読みます。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。ビジネスの世界で説明すると以下のようになります。9つのアサーション権は萬法一如」の基礎となるものです。

知らない、できない、分からないことがあるのは恥ずかしいことではありません。
人は成長するために、自分の不足を知り充足することが必要不可欠です。
恥ずかしいと思うと、不完全を知られるのが怖くなって、隠すようになってしまいます。

恥ずかしいと思うことから負の連鎖が始まり、個人はもちろん組織からアサーションな態度がなくなってしまうことが重大な問題になります。

人は無意識に思い込みや、決めつけをしていて、それを、いつの間にか、常識として身につjけています。
・完璧でなくてはならない。
・賢くなければならない。
・誰からも好かれて受け入れられなければならない人の役に立たなければならない。
・人を傷つけてはいけない。
・悲しんでいるときは同情するべきだ。
・失敗してはならないなどをはじめ思い込みはいろいろあります。
・人を傷つけてはならない。
・危険や害のあるものに、人は深刻に心配するものだ。
・物事が思い通りに進まないのは致命的なことだ。
・できなかったり、できないと言葉にするのは、能力がない証だ。
・親、目上の人、上司などの命令や依頼は断ってはいけない。
・上司は~であるべきだ、部下は~であるべきだ、
・男(女)は~であるべきだ・・・

等等思い込みや、決めつけをピックアップしたらキリがありません。
思い込みは自分だけの錯覚・妄想であって思考ではありません。「~であるべきだ。」は自分だけの感情なのです。
思い込みには、さらに思い込みや決めつけの背景には、自己否定感が深く関わっていることが少なくありません。

・私の能力不足を発見されたら困る
・頭が良くないと思われるかも?
・自分勝手な奴と思われるかも?
・自分の話すことはどうせつまらない
・この程度は誰でも考えているだろう
・わざわさ言うほどのことでもないだろう

思い込みでコミュニケーションするとは、妄想でコミュニケーションに等しいと言えます。
なにより思い込みは自分で自分を縛る「禁止令」です。禁止令が働いていると、ステレオタイプの考えに終始します。難関にぶつかるほど、物ごとの見方を自由に変えるスイッチチェンジが必要になります。
しかし思い込みが強いと、不安になるほど画一的な考え方に囚われ対応ができなくなります。

しかしスイッチチェンジができずに柔軟性もないと相手目線で考えることができなくなります。
事実を無視したり、相手に配慮を欠いたコミュニケーションは相手にとって迷惑で失礼なことと言えます。
知らない、できない、分からないことがあるのは恥ずかしいと考えていると完全主義になりますので、柔軟なコニュケーションができなくなります。一方、自分が知っている範囲の世界に、未熟な人を迎えた場合は、未熟を恥ずかしいこととしてアグレッシブ(攻撃的)になります。視野の広い人から見たら奇異に感じますが当人は小山の大将気分です。

攻撃的に指導されたり、価値の値引きをしながら指導されても、自己満足に終始してやる気は起こらないので成果はあがりません。成果のあがらない理由に指導される側の無知をあげられたりして、どこまでのアグレッシブな態度が続きます。
こうして隠すことでノン・アサーティブ(非主張的)になる一方で、アグレッシブ(攻撃的)という2面性が露出することになりますが、そのどちらにも、率直、誠実、対等、自己責任というアサーション4つの柱がないので、自分自身のライフスキルが育まれることはなく、成長が困難になります。

年齢に比例して奇異な頑固さが強化されるので、リーダーシップが身につかなくなります。
これを防ぐには、若いうちから、「知らないことは聴く」「分からないことは分かるまで聴く」「できないことはできるまでトレーニングする」ようにします。
この態度こそが、知っている、分かっている、できる以上の長所になります。この点をしっかり肝に銘じて実行したいものです。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】

不完全であってもいいと開き直られたら困るという心配もありますが、そんなことはありません。
たとえばチームワークは、自分の役割を果たせることが基本で、果たせない場合は果たせるようにスキルを身につけるのが原則です。そのためになにができないのかの発見と充足がリーダーの仕事です。それを果たすために、周囲は出来ないことを手伝わないのが原則です。

このルールに則ってやれば、開き直ってもいいという心配はなくなります。
目標達成のためには、開き直っている時間がなく、不足の充足に躍起になっているのが普通です。

そして、この権利にも他の権利と同じことが言えます。
自分が不完全でいけないと思い込んだ人が管理者になった場合、この思い込みが解決されていないと、やはり部下の不完全を許さなくなります。

人は不完全を克服するために苦しむのは当たり前のことと考えてしまうのです。
自分の不完全を解決する努力は尊いですが、それが義務になっては働く喜びを失うので、働きがいのある職場にすることいは困難になります。どのようにして自律性を引き出すかに焦点をあてるには、まず知らない、できない、分からないことがあるのは恥ずかしいことではないことを明文化するのが先です。


アサーション権について

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
 2.他者と違う自分の価値観を大切にする権
 3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
 4.論理的な説明できなくてもいい権利
 5.自分の意見を主張しない権利
 6.間違いや失敗をする権利とその責任を果たす権利
 7.自分の考えや意見、行動を変更する権利
 8.他者の困難に対して援助の選択を自分で判断する権利
 9.周囲の期待に応えなくて良い権利