2012年9月25日火曜日

時時勤払拭/世界は使われていないイエスで溢れている




時時勤払拭/世界は使われていないイエスで溢れている

私は、世界はまだ使われていないイエスで溢れていると感じています。

イエスとは、やった!、その通り!いいぞ!、野球やサッカーなどスポーツでのファインプレーに感じる気持ち、言葉。ビジネスシーンではWIN-WIN、笑顔や握手したくなる瞬間。

使われていないイエスとは、待ち望んでいる気持ち。イエスと言いたいけれど言えるような状況ではない。期待はずれ。 一体誰が暗いニュースを聞きたいものか。
つまり、こちらの出方で相手はいつでもイエスという状況にある。みんなウズウズしている。
禅に「時時勤払拭」という言葉があります。時時、つまり常に邪念、妄想を払い拭き、心を汚さずに勤めることで、自分本来の清らかさが表れるという意味です。自分の在り方でプロセスが変わり、結果も変わります。なにごとも自分次第なのです。自分の足下を清らかにして取り組むことこそ始まり。つまり精進することです。
これをあなたの仕事に照らせば、ひたすら顧客を想い、顧客があなたに出会えてよかったと思える会社作り、店作り、仕事作りをした上で、知ってもらえるように告知する。告知で知ってもらうのは、「一生懸命の生業」で、それを通して、体験でもって会社作り、店作り、仕事作りの結果を伝えて感動していただくことにつきます。これこそがアサーティブ(積極的自己表現)の本質なのです。
しかし現実は、会社作り、店作り、仕事作りをせずに、アリバイづくりのような告知をもって告知していますという。何から何まで他人事なのです。邪念、妄想に自身を曇らせていて全然清らかでない。全然アサーティブではない。冒頭に言ったように、”つまり、こちらの出方で相手はいつでもイエスという状況にある。みんなウズウズしている。使われていないイエスで溢れている”という次第なのです。

教育、治安、モラル、マナーは音を立てて崩れる勢い。危機感から「美しい国づくり」「生きる力の再生」と言った首相をよってたかって潰しにかかったのは数年前。一国の総理に、そこまで言わせたのは他ならぬ国民の責任なのです。
しかしメディアが叩けば、同じように石を投げる。批判するのは簡単だが、良識あるはずの評論家までケチをつける。批判するなら代替案のひとつも出すべきところだが、それもないままに、リベラルなあの人も批判していると無自覚に相乗りして批判する。

人間の品性が失われる状況にあって「美しい国づくり」がなぜ悪い?どのような良識なのか疑いは晴れないままに去り、「こいつら」「あいつら」と下品極まりない表現の評論家が人気を博すのは「美しい国」をあざ笑ったメディアならではの当然のおぞましさか。

そう思っていたら、同じ意味のことを書いている方がいました。他界された阿久悠氏が、その著書「清らかな厭世」で怒っているのです。
「悪いのは社会だ時代だ いや制度だと言っているけど つまりは一人一人の哲学だよ」と題したページに、『無関心、無軌道、無気力、無神経、無責任、無恥、無茶、無定見、無頓着、無表情、無理無体、そして無礼とバラエティーに富んでいる。思えば不気味の初期は「三無主義」といった。』

さらに続けている。「勤勉と正直と正確を野暮だと嘲ったら只の怠け者の国になる」「勤勉と遊蕩の値打ちがいつの間にか逆転し真面目の生き場所がない」阿久悠氏の他界が悔やまれます。
労働は悪、休息と消費こそ美徳のようなわけの分からん、かっての真っ逆さまの価値観がまかり通るかと思えば、経済危機の嵐。メデャアはいたずらに不安をあおりたてる。ご丁寧に音楽入りでドラマ仕立てで恐怖心をあおる。危機と無の山を前にして、なのをどうするか、ビジネスと向き合う人にとっては、気概が問われる正念場。

で、どうするか。まず原点に立つ。

人は誰でも価値ある者と思いたい、思われたいと思うものです。これこそが原点。
世界中、どこに言っても読み書きをする地域の人々にとって、すべての活動は、そのためにあると言って過言ではありません。先進国であればあるほど、その傾向は強い。

だから、なにを目指すかは明白です。価値ある存在だと知らせてあげればいい。それをきちんと届けられたら、商売は間違いなく繁盛します。

どのようにして届けたらいいのか、そこが難しいと言うより先に、まずは思い出していただきたい。

あなたの会社に、あなたの営業所に、お客様を称える、励ます、応援する習慣があったかどうか。サービスを良くしろではない、人と人の関係性の問題としてです。昨今言われるホスピタリティ。

繰り返しますが、人は誰でも、価値ある者と思いたい、思われたいと思うものです。
自分が大切にされてないと感じると心ばかりか、体調までおかしくなることが少なくありません。大切にされていないと感じると、その原因を自分が劣っているからだと思うこともあります。

だからどんな店が衰退し、繁盛するかは明白なのです。それがどれだけ多くの方に届けられるか、一番の課題です。知ってもらわないとお客様は動けない。しかし肝心の顧客もあなたに無関心です。つまり必要なのは告知です。それさえできれば間違いなく繁盛します。誰かが、ここでは売れないと言った店でも立派に繁盛する。

さて、あなたは価値ある存在だと知らせてあげればいい。それをきちんと届けられたら繁盛すると言いましたが、ほとんどの方は、それが質と量の両方でできない、できていないのも事実です。勘違いをされるからです。

お客様のメリットをズラズラ並べる。それを実行しようとする。しかし、うまくいかない。メリットを提供しているのにうまくいかないから、理由が分からなくなります。
重要なポイントです。
◎メリットの提供ではメリットにならないのです。心が動いたことがメリットなのです。

昨年、日本人なら誰でもご存知の企業が展開している店舗を見てほしいと言われ、問題を指摘。改装に踏みきったところ、売り上げはまたたく間に倍になり、その後も上昇中で満席続きです。それでかなり満足されていますが、実は倍や3倍ではダメなのです。結果オーライの事実前提の経営をしているとそうなる。まだまだあなたは価値ある存在と伝えていないのです。それを伝えたら、4~6倍になるポテンシャルが潜んでいるので、行列のできる店になります。

人に注目しましよう。
人は誰でも価値ある者と思いたい、思われたいと思っています。その切実にあって、何ごとにも失敗してはいけないと思っている方、自分の欲求や希望を伝えるのも、控え目にするべきだと考えている方、感情を表現を抑圧してしまう方もいます。疲れ、落ち込み、腹立ち、寂しさ、嬉しいことさえも表現してはいけないと思っている方も少なくありません。

外部評価による力、たとえば役割、地位、さらに自分ではどうにもできないことである年齢、性などによる固定化したイメージによる行動に終始して、自分の内なる力を使わないままに自信を失っているかもしれません。



この方たちは、あなたはすばらしいと言われるのを待っています。しかし、売る側は伝えていないし、伝え方も悪い。つまり、この世界には、まだ使われていない「イエス」、使いたくてウズウズしている「イエス」が溢れています。

ビジネス・アサーションで言う「YES, 」を救いに行く。
では、次に溢れている「YES」を救いに行くキーワードをご説明します。


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