2012年10月7日日曜日

只管打坐/継続できる仕組みを創る



「継続は力なり」と言いますが、裏を返せばそれだけ継続は難しい。なぜ難しいかというと物理的に継続できないからです。だから継続はできないことを前提にした仕組みが必要なのです。さらにいうなら「そもそも継続するべき状態があるのか」というのも重要な問題です。

マートワンの「ビズアサーティブ」は、自分と他者を同じように大事にしながら、WIN-WINな関係を構築する自律型結果志向恊働主義をご提案しています。

アサーションに似た言葉には【アサーション Assertion】【アサーティブ  Assertive】【アサーティブネス Assertiveness】があり、微妙に意味が違います。

【アサーション Assertion】
遠い関係のものが近づくようにする活動
【アサーティブ  Assertive】自他ともに大事にする表現をする
【アサーティブネス Assertiveness】自他ともに大事にされた実感のあるWIN-WINな関係性

アサーションがいまほど問われる時代はありません。厳しい経済状況、精神性の崩壊、価値観の混迷などに切り札として機能するのは、アサーション、アサーティブ、それを職場に活かすことで得られるメリットをご紹介しています。マートワンの「ビズアサーティブ」はこの問題に向かい合い、矛盾のない世界をご提案します 

ビズアサーティブを語る前にちょっとした準備体操を。

ジョン ・レノンの「イマジン」ではありませんが。こんな世界を想像してみてください。
・3分の2の患者を無料で診察し、従来より50分の1も安価な装具を使う病院ネットワークがある世界

・都市部に快適で便利な公共交通網が普及し、年間数時間しか自動車を運転する必要がなく、しかもその自動車の燃料費は従来の半分で、使った分だけ払えばいい世界

・企業が数10万ヘクタールの森を開拓して超大国へ木材を供給しながら、森に暮らす動植物が守られている世界一職場や自宅の建物が、消費する量を超えるエネルギーを生み出し、クリスマスでも暖房不要、7月の猛暑でも冷房不要の世界

・毎日のように消費する商晶の梱包材が、土中や河川に堆積することなく分解されて肥料となり、自分にも子供たちの世代にも有害物質を出さない世界
・融資した顧客の4分の3を極貧生活から脱出させ、しかも採算が取れている銀行のある世界

・有機農法によって、集中農法と同等、もしくはそれ以上の生産性を達成し、農家に高収入をもたらすことができる世界

・化学工場が、有害物質の販売量ではなく、環境にも健康にも負担の少ないサービスを競い合う世界

・才能あるスタイリストが、画一的なモードを拒否し、自分の会社をつくって、Tシャツの市場リード、スタッフには最低賃金の2倍の給与を払っている。
ユートピアだって?
そんな世界が実際にあるんだ。僕らはそこを取材したのだから。
そんな起業家が本当にいるんだ。僕らは実際に会ったのだから。


「未来を変える80人 僕ら出会った社会起業家」 は、4大陸世界38ケ国での取材をまとめた本です。日本からは2000年スイスのシュワブ財団より認定された「古野農場」がピックアップされています。

金のためなら恥も外聞もない企業がある一方で、社会起業家が増えています。
世の中に貢献すること最優先にビジネスをしたひとたちです。
では、普通の起業家は、世の中に貢献していないのか、というとそんなことはありません。ただ優先順位がちょっと違うということでしょうか?日本でいうボランティア活動がビジネスになった印象。
なぜ、ここでこんなことを取り上げるかというと、問題にしたいのは「自主的」「自律的」というキーワードです。一般的になぜ働くのかというと「生きるために働いている」って感じがあるでしょう。

社会起業家の場合、これがひっくり返って、「働くために生きている」って印象があります。「何のために死ぬか、ムダに生きるか、自分で考えろ」は映画「ランボー最後の戦場」のセリフですが、社会起業家からはそんなセリフが聞こえてきそうです。どうして、そんな考え方ができるのでしょうか?

そこには人の役に立ちたいという切実があります。そこには、禅で言う「只管打坐」のこころがあります。

只管打坐」・・・・「
しかんたざ」と読みます。ひたすら坐禅することを言いますが、その真意は「ひたすら、いまこの瞬間に打ち込んでいることが幸福」にあります。「只管打坐」こそ、実はいま多くの若者が求めていることなのです。
道元禅師の提唱された教えで、 只管打坐の重要な点は、 ただひたすらになるまで、ただひたすらに坐禅をすること。つまり余計なものを全部そぎ落として行く点にあります。
たいていは、ただひたすらになるまで、ただひたすらになれずに適当にしてしまう。この曖昧さが苦しみから抜けきれない、依存的な性質を強めてしまいます。
依存的な性質を消費社会は大歓迎しますので、自分らしさを求めながらも、当人は、トリッキーな消費社会に取り込まれていて気がついていない場合もあります。

雑貨を買うために行列が出来る国です。しかし、中にはそういうものとは一線を画し、自己実現を図ろうとする人たちもいます。気がついている、いないにかかわらず、「只管打坐」は見過ごすことのできない言葉です。ただひたすらになるまで、ただひたすらに行動するには、結果ではなくプロセスへの注目をしないとできません。このプロセスへの関心が苦手なマネジャーが多いのです。
さて、これから言うことをひとことでいうなら、 スタバで働いているアルバイトの女のコって、ひとりひとりが社会起業家のひとりみたい。それが言い過ぎなら、ひとりひとりが店長みたい。そういう話です。

「スターバックスって、アルバイターやフリーターがお客さんによろこんでもらうのがうれしくて、”只管打坐”の思想でボランティア活動している喫茶店、そんなイメージです。」どうしてそんなことになるのかというと、「任されている気概」が個々にあるからです。
バックボーンに、「 人の能力を値引きしない 」という思いがあります。できないと考えるより、できると考える。できると考えるから、とてもたくさん勉強する。
休みの日でも出て来て勉強している。それを仲間が支える。お互いが励ましあっている。助けを求めたら、いつでも仲間が助けてくれる。

だから教わるよりも、助けてあげられる人に早くなりたいと、自律と自立を自分に求めて自分を叱咤する。無意識に自己啓発が起こる。そういう毎日を通して自分が変わって行くのが分る。
「給料は安いんです」個々にみんなそう言う。だけど「楽しいから、辞めたくない」という。その結果として離職率が圧倒的に低い。離職率が低い理由はシンプルです。考えるだけではなく、行動に置き換えるので、
楽しいいまが継続中だからです。 そういう人がスタバだけで、1万人以上もいる。できないと考える自分より、できると考えられる自分が好きだから、仕事が楽しい。楽しそうだから、そういう活気のある職場にしませんかという話なのです。
大変遅くなりましたが、ここからが重要な継続できる仕組みを創るです。
一般に「継続は力なり」と言いますが、裏を返せばそれだけ継続は難しい。なぜ難しいかというと物理的に継続できないからです。食事もすれば風呂にも入るし、睡眠もとる。逆に継続するとそれができなくなり、倒れてしまう。つまり継続とは、他のことに携わった間の状態からいかに迅速にテンションの高い元の状態に戻すのかという問題です。
それには戻すべき元となるテンション、モチベーションの高い状態を一旦作っておかないと戻しようがありません。継続できない最大の原因は「戻るべき元がない」のです。仮にも元になる状態があっても、意識していないのでたまたまの偶然でしかなく元がないのです。そうでない状態で休憩したり、仕事したりというのがダラダラの状態なのです。
そこでテンション、モチベーションの高い状態を一旦作りあげることが大事なのですが、継続できない人やチームには、実は仕組みの認識が元々ないので作る意識がない。人間はどんなに頭が良くても考えないことはできません。「スタバの離職率が低い理由」は成功法則の宝庫なのです。
物事には、それ自体に意味がありません。どう判断するかで、自分が意味づけをしているだけなのです。ひとつひとつの作業をどのように意味づけするかは、自分の判断です。同じものを見て、個々の判断が全然違うわけですから、判断の仕方を教える立場の人の判断はすごく影響があります。(続く)


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