2012年12月21日金曜日

柳緑花紅/コツコツが嫌になるのは



禅語に「柳緑花紅」・・・・・「やなぎはみどりはなはくれない」意味は読んだ字のの通りです。草木は緑に染まり、花は美しい赤色を見せてくれます。自然はそれぞれにありのままを見せてくれます。そこには不変不動の真実があります。日々のストレスで幸せを感じる力が弱って来た、ストレスを感じたら、静かに自然と向かいあってください。ただコツコツと自然のサイクルとリズムで構築された自然界に身を置く幸福感は本来人間が持っている感覚です。デジタルデバイスをオフにして、ありのままの自然に身をおけばありのままの自分に戻れます

トップセールスマンでも、必ずスランプがきます。 スランプを短く小さくするのも、トップセールスマンのスキルです。自分をコントロールできるアサーティブな力が役に立ちます。
数値目標はエンドレスです。疲れてもくるし、目的があっても迷いが生じます。
目的がない場合には、何のためにしているのかが分からなくなり混乱してきます。

セールストークの工夫をしていても、こんなことでうまくいくのだろうかと不安になってきます。
不安を感じると先のことを心配します。

そこで、「こんなことしても・・・・」 という不安が強くなると、止めてしまいたい衝動にかられます。
時間がかかるということは、自分の資源を投資することに他なりません。
それはすごいリスクです。

時間は使うと、二度使えません。
場合によっては取り返しのつかないことになります。
コツコツがんばっても、うまくいかなかったら挫折感も大きくなります。
ですから、コツコツは不安です。コツコツは孤独です。

必ずうまくいくという保証がないと、バカバカしくもなります。
だから、すぐに楽しくなることに手を出したくなります。
難しそうなことは最初からしない・・・そんな人もたくさんいます。

ディズニーランドは、入園料を支払ってゲートを抜ければ別世界。一気に楽しい世界へ誘ってくれます。残念なことは、楽しくなれるのも、すぐですが、楽しさから醒めるのも早いことです。

悪い結果を想像してやめることも少なくありませんが、この世界は、いい結果、思うような結果を得るにはコツコツとやるしかない仕組みになっています。

コツコツと積み重ねていくことは大変ですが、その代わり一生モノになるものも多いようです。

人間は感情的であるけど、世の中は合理的な仕組みになっています。原理から見いだした原則でル-ル化されているからです。
原理とは、もともとあったものを後から人間が発見したことです。原則は原理を参考にして後から人間が考えたことで、こうしたらいいというルールです。

コツコツという状態は、成功へ向かってグレーゾーンを旅するようなものです。
なにごとも成功か失敗を白か黒かの2者択一で考えられる状態ではありません。
部分的な成功には価値を認めずに、成功か失敗を白か黒かの2者択一で考えてしまうとコツコツは続けられません。

良い自分か?悪い自分か?白黒思考の2者択一をしている限り、現実をあるがままに見ることも受け入れることも 不可能です。

私たちは、とかくありえない完全を求めてしまうことがあります。しかし完全な人間って見たことありますか?完全な会社ってあるでしょうか?完全な店ってあるでしょうか?そんなものはどこにもありません。

あるのは、少しでもよくするために毎日コツコツとやっている会社や店や人がいるだけです。非現実的に自分を厳しく見ている限り、自分の自尊心は高まることはありません。だから難しいことは最初から挑戦したくなくなるのです。

世の中の悪くなる仕組みとは、昔から言われてきた「飲み、打つ、買う」です。
これらはコツコツとは、まったく反対で瞬時に快適になります。しかし瞬時に快適さは消えます。快適を持続するためには、時間に変わる資源を投資が必要になります。お金です。結局、身を滅ぼします。

そんなことで大切な人生を台無しにしないように、なぜそうなってしまうのか、
原因を整理しておきましょう。 世の中の仕組みから逸脱するようなことは断じて避けたほうが楽しいのです。

成功か失敗を白か黒かの2 者択一にあてはめて考えるのが、大きな原因なのです。
部分的な成功には価値を認めないため、成功の実感がないのです。
いくらやってもありえない完璧な勝利をめざしているのです。
ですから難しいことは最初から挑戦しません。

これほどまで非現実的に自分を厳しく見ている限り、自分の自尊心は高まることはありません。
たとえばイチロー選手は、完全でない自分に向き合い、なれる最高の自分になろうとベスト尽くしているプロセスこそがもっとも重要だと知っている人です。

記録そのものに価値があるわけでなく、その「記録へのプロセス」に価値があること知っているのです。だから結果オーライに価値がないことを知っています。
結果オーライ主義が自分への欺きであることを知っています。
だから彼は他の選手と自分を比べることもありません。競争的になることもありません。
自分と他人の境界がすごくはっきりしているのも、いつも自分と向き合い自分を生きているからです。

それは「いじめの構造」と全く正反対で、とっても美しい姿だと思います。
悪い結果を想像することは悪いことではありません。
悪い結果を想像してしまうのは誰にもあることです。
悪い結果を想像するから計画して準備するのです。
悪い結果を想像して、自分にはできないと自分の能力を信じないことが悪いのです。

自分を辱めている態度や行動が悪なのです。
「自分にはできない」と思うから、行動しない。
最初から逃げ道を用意しておいて逃げる。
そうではないのです。「自分にはできない」と思うからしっかり計画を立て、できるように準備をするのです。

コツコツができない人は、我慢が出来ない人です。
「自分にはできない」と何度も、何度も、そう思っても、いやきっとできる、できるまでやると押し返す。
コツコツができるのは、本当は自信がなく「自分にはできない」と考えるからです。

「自分にはできない」と考えるからコントロールが必要だと考えます。コントロールするために、目的、目標が必要になります。
コツコツができないのは、本当は自信がないのに、「自分にはできて当たり前」だと考えるからです。だからコントロールが必要だと考えません。目的はなく、目標も考えようとしません。スランプになったら、「何のためにやっているのか」を考えると脱出できます。
目的が効果を発揮します。

柳緑花紅是非、家のなかに自然を取り入れてください。花が枯れたら自分の手で自然に戻してやってください。土の帰してあげるだけで幸福な気持ちになれる自分に出会えます。

2012年12月20日木曜日

以心伝心/言葉を越えた結びつき



言霊と言うほど言葉には強い力がありますが、互いに断ち切れないほど強い結びつきは言葉にできない心を伝えることでしか生まれません。それが以心伝心」です。禅では、人が本当に伝えたい思いや事柄は文字や言葉に表せないと考えています。

ある時、お釈迦様が説法をされる際、一本の睡蓮の花を弟子達の前に無言で差し出しました。弟子たちは意味がわからずいましたが、一人だけが微笑しました。言葉を介さなくてもお釈迦様の気持ちが分かったのです。そして彼がお釈迦様の後継者になったのです。その弟子とは摩訶迦葉尊者です。

ノードストローム(Nordstrom)は、アメリカ28州で160店舗を展開する創業1901年の老舗デパート。「ノー」と言わない顧客サービスで有名なデパートです。

ノードストロームの精神がどのように現場で反映されているか、ご紹介しておきます。

会社の方針でもなければ、上司の命令でもなく、自分の判断で「そこまでやるか」と言いたくなるくらい、一般常識を超えた対応を店員が自主的に実行していることから、「ノードストローム」は世界中で有名になったデパートなのです。

ある日、ノードストロームにはあまりにも不似合いな、見るからにホームレスの娘が店内に入ってきました。彼女が店内を歩いて行くと、そこにいたお客さんの誰もがその娘から離れていきます。
そしてホームレスの彼女が辿り着いた先は、「ブライダル・コーナー」だったのです。
やがて、彼女は「ウェディング・ドレス」の試着を要求しました。店内にいたお客さんたちは物珍しそうに、遠くから眺めていました。
一方、ノードストロームの店員は断るどころか、どこまでも暖かく親身になって何着もの試着に応じたのです。
オドオドビクビクしながら店内に入ってきたホームレスの娘は、イキイキとした表情で胸をはって帰っていったそうです。偶然、この事態の一部始終目撃した神父がいました。

やがてその神父によって、「ノードストロームにおける福音」という説教として、教会で紹介されました。それを聞いた信者から話が広がり、「ニューヨーク・タイムズ」紙で紹介されて、全米に知れ渡たりました。

同じようなことが、他でも起こりましたので、こちらも紹介しておきます。

こちらは銀行で起こった事例です。よぼよぼの老人が銀行の窓口にやってきて、「そこの駐車場を貸して欲しい」と頼んだのです。彼の身なりを見た窓口の女性は、「そこはうちのお得意様専用なのよ。あんたみたいな爺さんに貸すスペースはないの!」と、横柄な態度で追い返そうとしました。

彼はただちにその銀行に預金していた100万ドルを全て引き出し、その足で通りをはさんだ向かいの銀行へ預金してしました。
(「サービスが伝説になる時「顧客満足」はリーダーシップで決まる」)

この2つの事例の比較は個人の判断はもちろんですが、風土が問われます。風土は価値観によって培われますが、もっと具体的に言うと、手順があります。

1) 理念によって予め定めたサービスの基準を用意し、全員に周知徹底しておく。
2) サービスの基準に基づきホスピタリティを効かせた判断を個人の判断で実行する
3) 個人が適切な判断ができるよう日常的に必要なスキルが研かれる職場運営をする
4)そのためには指示・命令だけでなく、自律心を養えるように、考える機会と仕組みをたくさん用意し、自主的に行動できるスキルを身につけさせる


いくら個人の判断といっても咄嗟のことなので、日頃から「この場合には、どうするのが、会社の方針と適ったものなのか、判断する情報がないと判断できません。
会社の理念が浸透していないと個人は判断できなくなります。しかも日常的に指示命令が曖昧で、感情的な行動が多い職場では、触らぬ神にたたりなしの判断からネガティブな行動をよしとして選択するものです。従業員が安心して積極的に自己表現ができる支援をするには、適応した態勢を用意しないとできません。

先のノードストロームの出来事は、どうして起こったのか。を考えるときに、「人の話をよく聴くスキル」がもっとも大きな要素になっていることに注目してください。

日頃から積極的に傾聴することで、相手の気持ちを理解する、相手の立場になって物事を考えるスキルにつながります。そしてホスピタリティのスキル、互助の精神、自分を励まし周囲のひとを励ますスキルを身につけることになります。励ましの心から、「じぶん力」の基礎である自己肯定するスキルが正しく養われ、他者肯定のスキルが磨かれ、やがてリーダーシップに欠かせない必須条件が身についていきます。

パートナー(スタッフ)ひとりひとりに、リーダーシップが育まれる集団、つまりブランド力をつけられる集団と、逆にリーダーでありながらもリーダーシップのない会社が競争したらどうなるか、言うまでもなく明白です。

それが、いつどのようにして、どんな場所で、身につくのか、実は誰も気にしないような場所のささやかな一瞬、一瞬のコミュ二ケーションの違いであって、その大元は「自分たちはなにをするためにここにいるのか」・・・理念なのです。

ノードストロームの出来事に似たようなことが、アメリカに多いのは、アメリカ人好みの人情話とも言えます。この種の映画、小説、エッセイの数の多さが物語るように、フレンドリーでオープン、日本人と比べポジティブな発想が多いアメリカの善の部分で、ノードストロームのようなサービスを生み出す土壌になっているのかも知れません。

事実、自分も通じる光景を目の当たりにしたことがあります。人がまだ少ない早朝のオフィス街で、ホームレスの人を引っ張って来て、マクドナルドで朝食をおごるビズネスマンやワーカーの姿を数回観ています。


では、ノードストロームの伝説から、

あるご婦人が、別のデパートの靴売り場で、お気に入りのデザインの靴を見つけました。ところが喜びも束の間、ちょうどピッタリのサイズがなく、悩んだ挙句、しかたなく、ワンサイズ大き目の靴を購入しました。
その帰りにノードストロームに立ち寄ってみると、なんと同じデザインでしかもサイズがピッタリの靴を発見しました。
  「まぁ、なんてこと」
婦人は、その靴を眺めながら、後悔します。
出るのはため息ばかり・・・。
それを見ていた店員が、婦人に近づき話しかけました。
  「お客さま、何をお悩みでございますか?
     その靴とこの靴をお取替えになればいいではありませんか?」

この話は、日頃から鍛えている、相手の立場にたって五感を全部使って考える。「人の話をよく聴くスキル」がもっとも活かされた事例ではないでしょうか?
店側にすればリスクは少なく、それでいてお客さまを奈落の底から救うという点で、素晴らしい話です。

次の事例はびっくり仰天、「そこまでやったか!」という伝説。

ノードストロームは、アパレルやアクセサリー、化粧品など おしゃれ関係のデパートです。ところが、ある日、ある男性が自動車の交換用のタイヤをお客様相談コーナーにまで持ってきて「折角買ったけどサイズを間違えたので、他で新しいのを購入したため、これは返品をお願いしたいのですが・・・」と言いました。

しかしノードストロームでは、タイヤは取り扱っていません
そこで、店員は、「申し訳ございません。では、このタイヤをお引取りさせて頂き、ご購入代金は返金させて頂きます」と言い、男性にレシートの提示も要求せず、男性が言う金額をそっくり返金として支払いました。

誰もが思う????どうして?????

この話はまさしく伝説のマジック。いかにも起こりそうな気がしますが、実は尾ひれがついた一件です。
実際には、ノードストロームが運営交代した店で、前の運営者がタイヤを販売していました。
お客さまは前の運営者から購入していたのです。
しかし、さすがに ノードストロームです。あっさり返品に応じたのです。この話はでっち上げだという説もあります。

だとしても、あなたの店で同じことが起こったらどうするか?その理由は?それは自社の理念とどうか?どうするのが最良か?ディスカッションしていただきたいテーマです。
なぜなら、どこにもないことだけが、競争力になるからです。




2012年12月19日水曜日

全機現/完璧主義

禅語に「全機現」・・・・「ぜんきげん」があります。生きている、今この瞬間に、すべてを現ずるということです。いまとはそれ以上でも、以下でもなく、ありのままの状態です。欲しいものがあっても、いまは買う金がない。ならば買わなければいいだけのこと。ただそれだけのことです。完璧主義はこの態度の真逆にあります。ないものをあるように見せるので、入ってくるはずのことも入らなくしてしまう態度です。気をつけてたいものです。

完璧主義・・・・この完全を求める習性は、どんなところでどんな現象を起しているでしょうか?
アサーティブなコミュニケーションをする上で役立つことはあるのでしょうか?売上げアップに寄与するのでしょうか?

完全を求めるということは、行動をするより先に結果を知りたがるということです。結果をみてから決めるという行動の仕方です。典型的な後だしジャンケンです。
だれでも先のことが不安ですが、起ってもいない先のことばかり心配しても仕方がありません。

結果をみてから決めるという態度は、相手の態度や感情を見て自分の態度を決めるようになります。つまり、主体性を失うということです。アサーティブでなくなります。

主体性を持たない側は弱者になるしかないので、この関係は公平性を欠くようになり、かならず被害者意識をつくります。被害者意識からは不満、不平、怒り、憎しみなど楽しくない感情が、どんどん作られます。アサーティブな力を失いアグレッシブ(攻撃的)になります。あるいは楽しくない感情が内向すると無気力になります。ノンアサーティブです。
自分にとっていいことなど少ないので、気づいていない方は、すぐに止めるべきです。
もともと、相手の態度や感情を見て自分の態度を決めるというやり方で見ている相手の態度や感情は、実際には現実ではありません。自分の思い込みです。

自分の意見や要望を出す前に判断するというやり方なので、誤解や食い違いが起こりやすくなります。
  • 相手の感情をみて、自分の態度を決める.
  • 相手の感情を予測して、自分の態度を決める
  • 自分の感情を予測して自分の態度を決める
  • 悪い想像をして、自分の態度を決める

なぜこんなことをしているのかというと、相手から放たれる感情的な態度、また自分の感情を自他ともに見られることが嫌いだからです。

特に感情の表出には敏感です。感情に敏感になっているのは、感情の表現と、感情的な行動が、まったく別のものだということを理解いていない点、感情の表現=感情的な行動と思い込んでいる点にあります。
そのため、話をしても相手の話の内容ではなく、相手の態度にあわせて自分を表現しているだけなので、コミュニケーションになっていない場合が多くあります。
相手の感情に自分を合わせて、その場に適切と思ったことを表現しているだけなのです。
これではノンアサーティブ、相手の言った内容もよくわからないままですし、自分の言ったことも相手には伝わりません。

時には自分が何を考えているのか分からないようにするために、伝わらないような話し方もします。
さらに、自分を知られないように分かったような顔をしてしまう点や、問題がないような態度をとります。
自分に誠実であれば。いまさら聞けないことなんてないのですが他者に相談したり、質問しない、助けを求めたりしません。
こういうノンサーティブなことをしていると、 他者の事情が分からないままなので、ますます他者はうまく行ってるような錯覚をします。


完全な自分でないと自分を認めないので、聞くことも、助けを求めることもできなくなっているわけです。

人に聞いても、助けを求めても、「どうせ、うまくいかない」と、思ってしまってやる気が起こらないのです。

自分の誤った考え方に支配されているため、自分で自分を束縛してしまっているのです。

一体何のために、そこまで
自分に厳しいのか、
自分を許さないのか、
自分を受け入れないのか、
自分を罰し続けるのか、
自分を信用しないのか、
客観的に見て無意味です。
確かに、自分が自分を受け入れない人は、周囲が求めるような結果を出せないので、周囲から批判的な言葉を受けることも多いのですが、ありもしない完全にこだわって、やるべきことをしないために、批判されているにすぎません。
つまりやれることをやらないために批判されているのですが、自分ではやれないから批判されていると思い込んでいます。

その結果だけが、予測した結果や、自分の感情とぴったり合っているために、自分の感覚を疑わないのです。

しかし事実は全く違っています。

アサーティブであること、つまり率直、対等、自己責任であれば完璧主義で無意味さが判ります。




2012年12月18日火曜日

悟無好悪/顧客のわがままを見つける目を育む



ビジネスとは金儲けだと信じている人がいます。以外にも創業の動機がなく親から継承した 二代目、三代目になると多い。しかし大きな間違いです。ビジネスとは顧客の夢を叶えることだ。叶える手助けをすることに他なりません。

どんなビジネスにも顧客の夢は潜んでいます。頭のトレーニングにどんな夢が潜んでいるか、顧客さえ気づいていないことを発見、創造してみると楽しい。

その始まりは「不満」の解決「わがまま」の達成です。「そんなの無理だ!」から始まります。ごちゃごちゃとどうでもいいことに頭を使うなら他の誰もが提供できない価値を実現することです。

まず、自分自身が「そんなの無理だ!」と言う前に顧客の「不満」「わがまま」に注目しているか、次にそれがどこにあるのか、何かを発見するためにまず顧客を知ることです。


  • 顧客は誰か
  • 顧客はなぜ我が社から購入しているか
  • 競合他社で購入している人はどんな人か
  • 我が社の顧客のメリットを損なわず、他社が顧客の体験したい感情に応えられないか
  • 顧客と我が社がWin-Winの関係になれる方法はないか

禅語「悟無好悪」・・・・「さとればこうおなし」
あるがままに不満やわがままは潜んでいます。それを発見する力、それはフレキシブルな目です。 ところが人はとかく評判や先入観で見てしまいます。しかし先入観に囚われずにあるがままを受け入れること。そうすると先入観に潜んでいる好き嫌いは緩和されます。そうはいうものの難しい。そこで悟ことです。人は誰でもありのままを見ているのではなく、色眼鏡の自分が見ていることを知るとあるがままを受け入れるゆとりが生まれます。


2012年12月17日月曜日

萬法一如/人がすべて



どんな商品・サービスを扱っていても、商品そのもの、サービスそのものにこだわりがあっても、そのこだわりは使う人があってのことだし、使う人に向けられたものでないと意味がありません。 

商品やサービスが働く者の創造性に刺激を与えて自分を表現する道具になったとしても使う人があってのことです。働く情熱、仕事への意欲が一体何に向けられているのか、真剣に考えたことがあるでしょうか。

日頃から入って来る言葉、たとえば顧客満足、生涯価値、共有、などに自分の気持ちをシンクロさせていつしか誤解しているかも知れません。商品を仕入れて販売し、お客様の夢や暮らしを最高のものにする手助けするのを目的にしている人もいれば、ただ商品を売るだけしか考えない人も同じ土俵にいます。あなたならどちらの会社、店を選びますか?100人に聞いてみました。100人とも人を大事にする側を選びました。

挨拶されて気分を悪くする人はいないでしょう。人は誰でも自分は存在する価値があると思いたい者です。これこそすべてなのです。つまり「人がすべて」なのです。「人がすべて」とは「私がすべて」ではありません。「私たちがすべて」なのです。「私たちがすべて」とは、お客様を含む私たちが共に成し遂げられることがすべてという意味です。
「ありがとう。助かった」のひとことに集約されます。


禅語に「萬法一如」があります。「ばんぼういちにょ」と読みます。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。ビジネスの世界で説明すると以下のようになります。
矛盾のない仕事。そんなものはあるのでしょうか?あります。なぜならすべての根源は同じです。人間は誰もが幸福になりたいと考えています。自分を認めてほしいと思っています。すべてはつながりを持ち、因果関係があります。因果関係に矛盾があるとストレスになり疲労し意欲はなくなります。ですからモチベーションを高める対策は、矛盾をなくすことです。
自分だけが幸福になりたいと思うと矛盾は至る所に生じます。みんなが互いのことを考えて働く仕組みでは矛盾はなくなります。
問題はそうすると自分の利益が減ると考える習慣があることです。とんでもない勘違いです。その発想の根源は不安と恐怖です。不安と恐怖に支配されると人は間違いを間違いと認識できなくなってしまう弱い生き物なのです。弱い生き物がジャングルを生き抜く方法として間違った考えを採ってしまい、結果不安を現実にしてしまうのです。
働いて自分がうれしい、お客様もうれしい、会社もうれしい、「萬法一如」はWin-Winの世界を表した言葉なのです。それはまさしく幸福生産性を高める基本的な教えです。



2012年12月15日土曜日

だから怖い事実前提の経営


経営には事実前提の経営と価値前提の経営があります。
価値前提の経営とは「何を大切にするのか優先順位を定めて、その基準に従って展開していく経営」「企業理念」であり、「倫理規定」、「信条」という形で語られます。

一方、事実前提の経営は「目に見える売上や利益を重視し、売上や利益の最大化を基準に展開する経営」一見合理的 なので、資金力のない中小企業ではこちらを現実的と受け止める傾向が高いようですが、このやり方は致命的とも言える弱点を抱えています。

数値を判断するのは人間である点です。

つまりどこまでも客観的な人間など存在していなくて、個人特有の三つの心、人間関係の構え、人生ストーリーを持った人間の手に委ねられるからです。
自分なりの解釈を防止するのが、価値前提とした目標管理をする経営です。そうすることが、個人の色のついた経営を防止する方法なのです。

「個性」と称して個人の色をつけるのが特長だと考える人もいますが、全く理解できていない証です。ついていい所とついて悪い所があります。そうでなくても個性というものは出てしまうものです。たとえば接客のポリシーは全員に一貫していて、その上で「ありがとうございます」という時の笑顔の違い、これは個人の色がつく部分です。

たとえばスターバックスで商品を購入し、ギフト用に包装してくださいと頼むと包装は個人個人違います。お客様の要望を聞いて最善と思うように準備します。その姿勢をお客は「スターバックスの魔術」と勝手に呼んでいます。それができるように練習もしているのです。このような作業ができる根幹にあるのが「何を大切にするのか優先順位を定めて、その基準に従って展開していく経営」です。つまり個人の才覚で行動しても決して経営方針から逸脱しない仕組みがあるのです。これが重要なのです。
決して経営方針から逸脱しないから掲げた信条は実現できるのです。
事実前提の経営をする一方で「企業理念」「倫理規定」、「信条」を掲げる会社は少なくありませんが、実際には個人の精神状態任せのまま数値重視に陥って、お客様を裏切っている会社が多いのです。

本当に「何を大切にするのか優先順位を定めて、その基準に従って展開していく経営」「企業理念」であり、「倫理規定」、「信条」を大事にする会社は、それを大々的に宣伝に使いません。お客様が肌で感じていただけば分かることとして内部の努力に留めていて、お客が口コミで広げているのが実際の姿です。





2012年12月14日金曜日

「食うために働く」を越える3



前回の続き

さて、ここからが今回の重要なポイントイです。

限界はカルチャーショックで突破させる

「おいおまえ、この会社になぜ入ったの?」と投げかけたら
「なんとなく、いいかなと思った」「他に行くところがなかった」と返ってきました。

このような回答の背景にあるもの、それが「限界」です。

「普通でいい」「まあ、人並みに」という表現がよく使われます。
つまり、自分の状況を変えたいと思っても、なにをどう変えたらいいのか、それが分からない。「分からない事があれば聞いてください。」と問いかけても「分からないことが分からない」。これが「限界」です

問題の存在も分からない。だから解決の必要性も感じなし、限界があることも分からない。限界を突破する必要も感じない。

でも上司は、刻々と変わる状況と格闘しながら、問題解決、限界突破に迫られている。
そこで、なんとかそちらに向かわせようとするけれど、本人は十分やっているつもりだし、なにをどうしたらいいのか分からない。


限界が分からないと、10年たってもそのままということになります。

そこで、「能力の限界」をカルチャーショックによって知らせます。この段階で伸びる人と伸びない人の違いが出ます。
「能力の限界」を知り伸びたいと思う人は「学びたい」と感じ、その実行によって成長します。過去の体験や履歴とは一線を画した意欲や意識が力を発揮します。
具体的に言うと、いままで自分なりに頑張って来た。しかし実態は井の中の蛙でしかない。そんな人が、より広い世界のあることを見せら知らされた。

世間は広い、上には上がいるし、もっと深い考え方もあるんだというようなことが素直に受け入れることができると、自分の能力の限界を感じて突破したいと思うようになります。


この反対の態度が「能力の限界」を認めない伸びない人です。伸びないように、伸びないように自分で自分の天井を作って蓋をしています。習慣的にこのような態度をとっているとイメージできないので、カルチャーショックを感じないことが起こってきます。
あるいは受けてもその価値を値引きして自分を優位に立たせたいと思います。自我が強すぎて事態を客観的に認められないのです。


▼例えば、わかりやすい事例として、コーヒーショップを例にあげて簡単に説明します。

あばたはそのスーパーバイザーとします。
同業に、受注の仕方、接客態度、ホスピタリティ、クレンリネスの態度や頻度・気遣いが立派な店があり。あなたは自店もそのレベルに引き上げたいと思います。

そこでマネジャーに見学に行って学んでこい指示したとします。マネジャーはおもしろくありません。その店のマネジャーと比較された上、劣っていると評価されたように感じます。そこで、同じ事はしてるじゃないかと思います。
「もし不足があるなら言えばいいじゃないか、そのくらいのこと、わざわざ見に行かなくてもできるんだからさ」と思います。


「能力の限界」を知らないとこんなもんです。 「食うために働いています」とはそういうことです。確かに作業の仕方ひとつひとつの問題なら不足している能力として上司が教えればいいのです。でも見学に行けと言うには理由があります。
それは作業の仕方ひとつひとつの問題ではなく、もっと深い世界、もっと大きな世界のあることを知らせたいからです。重要なのはここなのです。



この場合、スーパーバイザーであるあなたが教えたいのは「欠点」ではなく「限界」なのです。
・見学して自分は井の中の蛙だと感じてもらうこと
・その世界に行きたいと自分で思って欲しい

限界を知り、限界を突破したい思いをもってもらうことです。
作業能力の不足なら、手とり足とりで教えることができますが、「その世界に上昇したい」という想いは教えることができないことなのです。
思いは、本人以外にどうにもできません。自主性に任せるしかありません。
だからリーダーは出てくるもので、育てられないと言われたりします。

人が成長する、組織が成長するというのは、やって当たり前の作業能力を満たすだけでは不十分なのです。違いの 差はマネのできない思いによって運ぶものです。
外の世界を観るか観ないかで結果は変わります。


自分の値打ちばかりが気になってどうにもならない自我の強すぎる人を別にしたら、「食うために働いている」と言う人にやる気を起こさせるのは、リーダー(上司)次第です。

リーダーが内部、つまり社内や同業者、どんぐりの背比べ\終始している業界ばかり観ていて、その範囲での相対的な競争力に終始していると、カルチャーショックを与える事は不可能に近いです。そもそも「相対的」というのがくせ者なのです。


もし「相対的」な競争に勝つことでOKなら、互いの足を引っ張って相手の力を引き下げたらいいのであって、。どんどん潰し合いしていればいいのです。成長するより、成長させないようにするのが簡単で楽で手っ取り早い。事実、放っておけば、そうしています。

これは会社での能力開発、モチベーションでも、商売でも、学校の成績でも、共通した原理原則です。


▼出る杭は打たれると言う言葉の通りなのです。

会社でも頑張って人目に突き出すと「そんなに頑張ってナニになる」なんて横やりが入ります。そう言う本人は足を引っ張ろうと思っていません。親切心です。自分にも他人にも親切なだけです。「○×○組合」とか「談合」とか、親切心と合理性の集合体です。

自分が頑張るより相手が頑張らないようにするほうが楽なのです。こういう調子だから内だけの競争で上位にあっても成長なんか期待できないのです。本当に成長させるには、社外、業界外を観て、相対的な強さでなく絶対的な強さを身につけるようにしないと競争力はつかないし、成長しない。


▼外部とつなぐ

クラーク博士が「少年よ、大志を抱け」と教えたように「視野」が重要な役割をしているのです。出る杭は打たれます。それでも出る事が内から外をめざすことになります。
「食うために働いている」と言う人にやる気を起こさせるには、外の世界とつなげることが大切なのです、そのどこに到着するか、そこに進路をとるようにします。

世界の広さを教えてカルチャーショックによってめざめを期待します。君はいまここにいる、だけど世界はこんなに広い。君にはここまで行ってほしいと願う。胸に一点、外界に一点、それをつないだ一本の線が見えたとき、細くて切れそうでも、その一本の線がやる気の命綱なのです。

それを示したからといって即座に、「では、そこをめざしてがんばります」とは言わないでしょう。「このおっさん。なにを言ってるのだろう。」くらいでしょう。


▼ だから次の3つを使ってコミュニケーションを繰り返します。
・リーダー自身が「おれはそこに行きたい」と繰り返す
・「きみなら行ける」を繰り返す
・そこに行くメリットを繰り返し伝える
自分がそれにふさわしい力を身につけているかを気にしない。ふさわしい力を身につけるように努力している姿の方が重要です。

では、どんな外部があるのでしょうか?どこから観るかで景気は変わります。
小さな丘から見える景色と富士山では違います。
観るものすべてから学ぶことができるのは、それだけ高い場所から観るからです。

本人が認識しやすい広さを選んであげて、ここから観てごらん。と眺めの良いポイントと、いま君はあすこにいるんだよと本人の居場所を 教えてあげることで、全体像がつかめるようにします。





2012年12月13日木曜日

「食うために働く」を越える2





▼ ステップアップは次のように展開します。

・巻き込む
・欠点と限界を見極める
・欠点はトレーニングで直す
・限界はカルチャーショックで突破させる

【巻き込む】


「巻き込む」とは、まずはとにかく参画させることです。
適切な能力があるかどうかを気にせず参画させて、やらなければ仕方がない状態にすることを優先します。
能力と課題のアンバランスの問題は、適切なサポートが必要ですが、これは上司側の問題です。

「巻き込む」イメージは、娯楽映画に発見出来ます。
いい例は、アルフレッド・ヒチコック監督による”「北北西に進路を取れ」や「シャレード」(オードリー・ヘップバーン主演)は巻き込まれ”の代表作。
前者は広告代理店経営者が、誰かと勘違いされてホテルから二人の男に連れ出され、仕事の協力を強いられる。断った途端命を狙われ続けるはめに・・・。

後者は平凡な主婦が突然夫の死をきっかけに、これまで関わったことのない怪しげな人物と次々と出会い追いかけられるというお話。両方とも、身に覚えのないことだけれど、降りかかる火の粉は払わないといけないのが共通点。巻き込むとは、こういう状態。

もっともいいのは、チームワーク(役割分担)で挑戦させることです。
チームワークは適材適所が原則ですが、なにより大事なことは自分の役割が自分が果たせること。
裏を返せば任命責任が大きい。
役割が果たせるか、能力の見極め、不足する能力の発見、不足を補うトレーニングの一連が必須。

「食うために働いています」という人には、孤独感、挫折感、自信喪失、将来への不安、人間関係の悩みがあります。
これらの問題とつながっている安全への希求を連帯感による居場所の発見、成功による自信によって満たす事ができ、自尊の欲求に発展させることで、より強い参画意識につなぐことができます。
指示の仕方で結果は変わりますので、命令・指示と報告の仕方に注意します、
【欠点と限界を見極める】
欠点は、間違う、できないなど作業面での問題です。
限界は、本人が意識できないレベルの問題です。
たいていの場合、混同して使っていますが、この違いを管理者が意識して別々に対処するようにします。
欠点はトレーニングで修復出来ます。 むしろ発見が大事ですので、
そのためには先にあげたようにチームワークが有効です。

【欠点はトレーニングで直す】
先の 【巻き込む】でご説明したように、不足する能力の発見、不足を補うトレーニングという一連の作業です。
OJTを使うのが効率も良く効果的です。但しOJTとは名ばかりで、実際には計画もなにもない、実践で学べというだけのものが多いので注意が必要です。
具体的な計画を策定してOJTをマネジメントすることが必須条件。
名刺の渡し方、挨拶、椅子の座り方、書類作成などは、十分に正しく出来る、出来ない、で判定できます。目に見えて判断できる、これらはトレーニングで良い状態に直せます。

一方、限界は目に見えないものと思ってください。


2012年12月12日水曜日

「食うために働く」を越える




「あなたはなんのために働くのか」と質問に「食うために働く」と回答する人がいます。
「食うために働く」は「生きるために働いている」という意味ですが、こんな回答が返ってきたら、その言葉の背景にある感情に注目してください。

孤独感、挫折感、自信喪失、将来への不安、人間関係の悩みが潜んでいます。生きる目的がはっきりしない状態ですから、「食うために働いているわけではない」と反対意見をぶつけても、それだけでは解決しません。

目的をはっきり持って就職したわけでも、進学したわけでもない人が絶対数は多いので、そういう意味では「食うために働く」「普通でいい」「人並みでいい」という言葉は的確に自分を掌握しているとも言えます。

一方、その裏には無意識の「あきらめ」があり、もっと刺激的で豊かな体験をしたいという願望も潜んでいます。あきらめと願望の交差点をモチベーションアップのスタートラインと考えて、そこで打つ手は・・・巻き込む事です。つまり参画させる。「食うために働いている」でも参画するには十分です。

モチベーションアップはその先の話と考えます。
まず、次のように整理して順番にステップアップしていき食うために働く」から脱皮させます。
・巻き込む
・欠点と限界を見極める
・欠点はトレーニングで直す
・限界はカルチャーショックで突破させる
動機づけになるのは、欲求、認知、情動の3つのルートと、その複合があると言われています。


欲求
一般的に欲求で多いのは、安全への欲求です。俗に言う「食うために働いている」はその典型です。孤独感、挫折感、自信喪失、将来への不安、人間関係の悩みを解消したい欲求が動機づけになります。「食うために働いている」も、参画の入口と思えば立派な動機づけです。「異性にもてたい」「車を買いたい」などもこの範囲の動機づけです。
認知
認知は、達成感と難易度のバランスをどう受け止めて、動機づけになるか、ならないか、「期待×価値理論」と呼ばれているアプローチです。
たとえば、ライフスキルと専門的スキルの高いイチロー、松坂投手の場合なら、WBCなら達成感と難易度のバランスがよく、やる気になっても、町内の草野球ではやる気にならないと想像出来ます。


情動(エモーショナル)
もっとも高いモチベーションをもたらすのが、理屈を越えた情動による動機づけです。感情が自分を動かします。感情的な行動は慎むのがいいのですが、感情は使い方を間違わなければエネルギーになります。


カルチャーショック
「やりたい」「学びたい」という思いは自分自身からしか生まれません。
周りがいくら「やりたいと思え」「学びたいと思え」と促しても、そうはなりません。理屈を越えた情動の王道と言えるのがカルチャーショックです。

カルチャーショックとは、自分の習慣や考え方、これまで常識と思っていたことと、かけ離れている世界があることを知らせて、心理的にショックを与える事です。カルチャーショックを受けることで、自分の世界を飛び出して、その世界に行きたいと思ったときに、学びたいと思うようになります。

学びたいと思ったときに、自分のイメージできないことでも、なんとかイメージしたいと思うようになり、知りたい、教えて欲しい、学びたいと思うようになります。当然、能力がアップします。同時に挑戦意欲も高まります、
能力と挑戦が二人三脚で成長するので限界を突破していくようになります。


次回に続く

2012年12月11日火曜日

チームワークを3つの角度から考える



共同体との関わりを「戦略の3C」を使ってフレームワークします。
戦略の3Cとは、.Customer(顧客)、Company(自社)、Competitor(競合)の3Cのバランスを熟慮して効率的なリソースを行うことです。 マートワンのビジネス・アサーションでは、この3Cを共同体として捉えています。つまりチームワークです。

マートワンのビジネス・アサーションではGIVE&GIVENの観点から相手目線で考えることを強調しています。この3Cについても同じで、自分目線で観るのと、相手目線で観るのでは全く違った風景にもなります。念を押しておきますが、自分を大事にして相手も大事にするのは、目標を達成するための在り方として効率がいいからです。併せてテクニックではなく在り方であることも念を押しておきます。

チームワークについて、次の3つの角度から観てみましょう。
・チームワークを果たせる「人間力」
・チームワークを果たす「適材適所」
・チームワークで果たす「目標達成」


【人間力】


人間という生き物は
・自分の判ることは聴く
・自分の判ることはする
・自分がうまくできることをする
・自分が認識していないことは変えられない
以上のような特徴を持っています。


なかでも「自分が認識していないことは変えられない」には、少し注意が必要です。意識的に認識しない人がいることです。あるいは潜在意識では気がついているが、認識すると怖いので無視している人が少なくないことです。 そのくせ人間には「自分の求めているものを要求する」特徴があります。これらのことから「人間の能力の限界」を感じ取っていただけると思います。
結果は行動に報いるので、以上の人間4つの特徴から、物事を判っているか、いないかで、結果は変わってしまうのは、自明の理です。
自分が理解出来る範囲のことしか興味を持たず行動もしないのですから、得られる結果もその範囲に限定されるということです。それが「効率」です。
このことが共同体と関係しています。共同体を顧客から観たチームワークとして捉えるとA社の担当者より、B社の担当者の方がチームワークを果たせる「人間力」の点で上だと判れば、B社の担当者を選ぶのが自然です。その方が適材適所のチームワークができるからです。

ところが顧客の目線ではなく自社の目線で考えると事情が変わります。なんとか教育して改善させようと考えます。適材適所のチームワークを無視した傾向に傾くのです。

では次に「適材適所」の観点で観てみましょう。
【適材適所】
人間は自分の求めているものを要求します。 効率の良い適材適所を実現するには、人間の特徴を考慮します。人間が持っている「いやなことはしない」という特徴を考慮すると、いやなことはさせない、やりたいことをやらせるに越したことはありません。ところが自社の目線で考えると、いやなことを克服させようとしますが、相手目線では、いやがっていることをやらそうとしているとしか観えないのです。
【目標達成】

先にあげたことで、すでに目標達成するために、どうしたらいいのかは明確です。明らかにB社を使えばいいことになります。

では、A社はどうしたらいいのでしょうか?
答えははっきりしています。
人間という生き物は
・自分の判ることは聴く
・自分の判ることはする
・自分がうまくできることをする
・自分が認識していないことは変えられない
・自分の求めているものを要求する
この習性に変化を起こすには、このキャパシティーを拡大するしかないのです。

教育、教育、教育、教育、教育、教育、教育に次ぐ教育と、学習、学習、学習、学習、学習、学習、学習に次ぐ学習が壁を突破します。

ところが、この教育と学習は思うようにいきません。なぜなら自分の判る、できる、認めることはするが、そうでないものは、しない、認めないという性質によって遮断するからです。
つまり、顧客を中心にしたチームワークでは、「物事が分かっていない者」は、必ずと言ってよいほど、排除されてしまうということです。だから「物事が分かっていない者」にならないように変わることが必要条件になります。次のように変化を起こすようにします。

・自分の判ることは聴く→自分の判らないことは積極的に聴く
・自分の判ることはする→自分の判らないことは積極的にする
・自分がうまくできることをする→自分がうまくできないことは積極的にする
・自分が認識していないことは変えられない→自分が認識していないことを認識する

以上のような変化を自ら求めることです。(但し、これには注意が必要なので、次回と併せて読んでください)

戦略の3Cのバランスを熟慮して効率的なリソースを行うには、人間力を高めておかないと競合に太刀打ちできないことを意味しています。

自分を大事にする点で教育、学習は最も最優先することです。自分の判ることを増やす、できることを増やす、認めることを増やす、俗にこれを視野を広げると言いますが、視野を広げないと客観的な見方もできないので、自分のことも判らないということになり、自社のチームワークも機能しなくなります。 結果は行動に報いるのです。
その改善は、効率の改善につきます。何事も実際にはチームワークで動いているので、相手のメリットが少ないと自分のストレスは増える構造になっています。つまり、自分の扱い方を教えているのは自分だということです。
効率とは時間性です。期限のない目標はありません。
そこで、別の角度から考える問題が出てきます。


2012年12月10日月曜日

萬法一如/ビジネスシーンはGIVE&GIVENが王道


人間関係には、大きく分けると共同的人間関係と交換的人間関係があります。
昭和のイメージを継承しているビジネスシーンではGIVE&TAKEの交換的人間関係に偏る傾向がありますが 、今頃、GIVE&TAKEを唱える人は少ないでしょう。相手の喜びを自分の喜びとする共同的人間関係つまりGIVE&GIVEN を推奨しています。

GIVE&GIVENと相手の喜びは自分の喜びを同じ感覚で捉える方には、GIVE&GIVENに懸念を抱き、GIVE&TAKEを選択するようになります。そのくせWIN-WINを標榜したりするという矛盾に気がつきません。

この間違いの原因は、アサーション、アサーティブの理解不足から生じている「GIVE&GIVEN?=相手の喜びは自分の喜び」の図式です。これではアサーションになりません。

アサーション権でご説明したように、自分を大事にして相手も大事にするアサーションと、相手の喜びは自分の喜びとする生き方は全く異質で、後者はアサーション権を手放すことでしかありません。GIVE&GIVENは、自分を大事にして相手も大事にするためです。
その理解を深めていただくには、より大きな人間関係といえる「共同体」への認識を深めていただくのが早いのではないかと思います。

共同体(コミュニティー)は以下のように大別できます。

・地球家族
・アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、オセアニア
・国
・都道府県
・組織、集団、グループ、町内
・家族
・核家族
・カップル、友人




共同体を意識として捉えている範囲には個人差がありますが、実際には人間はいくつもの共同体に属していて、互いに影響を受けまた与えている相互依存の関係にあります。

これら共同体との関わりを「戦略の3C」を使ってフレームワークします。
戦略の3Cとは、Customer(顧客)、Company(自社)、Competitor(競合)です。3Cのバランスを熟慮して効率的な関係を育むようにします。
マートワンのビジネス・アサーションでは、しきりに相手目線で考えることを強調しています。
この3Cについても同じで、自分目線で観るのと、相手目線で観るのでは全く違った風景にもなります。念を押すと、自分を大事にして相手も大事にするのは、目標を達成するための在り方として効率がいいからです。併せてテクニックではなく在り方であることも念を押しておきます。
マートワンのビジネス・アサーションでは、この3Cを共同体として捉えています。つまりチームワークです。店舗を核にした会社・従業員・お客様・地域社会をひとつのチームととらえます。地域社会には競合も含んでいます。きれいごとではありません。それも戦略なのです。
禅語に「萬法一如」があります。「ばんぼういちにょ」と読みます。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。ビジネスの世界で説明すると以下のようになります。
仕事をして「お金を稼がないと世の中で生きて行けない」しかしそれだけではありません。社会のためになにかすることです。あなたのしたことで周りが笑顔になり、感謝してくれる。この喜びこそが個人にとっては生きる喜びの実感なのです。仕事イコール喜びと考えるのです。あなたにできることがあるはず。それが仕事になり、花咲き、ビジネスとして成功していく。
たとえばAppleを考えてみましょう。Appleの製品は美しい仕上がり、使いやすいので「印刷業界」「教育関係」に喜ばれました。しかし安価な WINDOWSがパソコン市場ではシェアを獲得し、倒産の危機を迎えます。Appleは個人をターゲットにして生き延びを図り、Macをコアにしたプロジェクトを展開します。 iPodは大ヒットし、さらに iPhone 、iPadで人々に生活の在り方を変えることで世の中を変えました。この物語は萬法一如」のいい例です。
自分だけが幸福になりたいと思うと矛盾は至る所に生じます。みんなが互いのことを考えて働く仕組みでは矛盾はなくなります。
問題はそうすると自分の利益が減ると考える習慣があることです。とんでもない勘違いです。その発想の根源は不安と恐怖です。不安と恐怖に支配されると人は間違いを間違いと認識できなくなってしまう弱い生き物なのです。弱い生き物がジャングルを生き抜く方法として間違った考えを採ってしまい、結果不安を現実にしてしまうのです。
働いて自分がうれしい、お客様もうれしい、会社もうれしい、「萬法一如」はWin-Winの世界を表した言葉なのです。それはまさしく幸福生産性を高める基本的な教えです。



2012年12月4日火曜日

身心一如/感情的な行動をしない




ストレスマネジメントスキル (感情対処・ストレス対処)は、リーダー、マネジャーとって致命的な行動である感情的な行動をしないためにも重要なスキルです。

禅語「身心一如」・・・「しんしんいちにょ」は精神が安定すれば身体も健康になる。つまり身体と心は一体であるという意味です。雲水の規則正しい生活は心も身体も鍛錬するものです。早寝早起、外の澄んだ空気を吸い、過食をせず身体が求める半分だけを野菜中心で満たす。それは長生きを目標にしたものではなく、心の安定を求めているからです。心が不安定でストレスの多い生活パターンは自分を活かすことを忘れているようです

【基調】

味わいたい感情を目標にする
感情は言葉にする(どんな感情も認める)
感情的な行動をしない
相手や周囲への気配りをする
言葉づかいをアップする
礼儀作法、マナー、エチケットの励行

物事を良い方向へ動かすには、2つの重要な要因があります。

● 感情的な行動をしないこと。
● 時間を有効に使う。

人間は感情の動物ですから、感情は年中動きますし、感情的になることもあります。感情的になるなといっても無理でしょう。
そこできっちりと認識しておきたいのは、感情の表現はいいけれど、感情的な行動はやめるということです。
感情の表現と感情的な行動は二つは全く異質なものです。

いついかなる場合も、感情的な行動は、自分を破壊します。次に周囲の人を破壊します。不安や恐怖のもとである自己肯定感の欠如は、ほとんどの場合、感情的な行動の影響を受けていて、逆に感情的な行動を採択します。

他者から感情的な行動を受けると、今度は他者にしてしまう連鎖が続きます。
どこかで断ち切ることが重要です。


冒頭に述べたように、感情的な行動と時間の有効的な使い方。この二つの要因は全く別なように見えますが、実は密接にリンクしています。

感情的な行動は、恨みを晴らすかのように時間を浪費します。また、物事を為すためのプロセスに占める累積成果と累積投入時間のギャップ(努力したけれど報われない)が大きいと、つらさの実感も大きく孤独の実感の深さになります。その上、もとからある孤独感や、解消されていない甘えなどがあると、痛みの相乗効果が働きます。実感は他者の想像を越えるものになることもあります。

他者は自分の経験から相対的に比較するか、客観的に想像して「そのくらいの辛抱は誰だってしているよ」と言うかも知れません。それが必ずしも適切でないのは、人の実感は個別に違うからです。この実感は他者には分かりません。

ですから自分が痛みを訴えても通じないことは少なくありません。すると、自分の苦痛を誰も分かってくれないと思うようになります。どのような感情も、他者に共感してもらうとすっきりします。


幼い頃から感情に注目してもらい、感情を処理してもらう経験を十分していると、成人したときには、未処理の甘えはほとんどなくすっきりしています。
しかしそれは稀なことで、たいていの人は未処理な感情をもって成人しています。誰にも分かってもらえない「つらい感情」は、次の四つの実行によって処理します。

【 実行 】

  • 感情を知る
  • 感情を認める
  • 感情処理を可能にするため感情的な行動はしない
  • 変化に注目してその成果を認める
まずつらい感情の存在を知って認めます。「面倒だな」「いやだな」「おもしろくないな」といった気分がそれです。
知ることで、感情的な行動をせずに処理できる機会を持ちます。
「ああ、自分はいま悲しい気分になっているな。可哀想に。よし、よく聴いてあげよう。」
機会を持てば、処理が可能になります。
努力したことは決してムダになっていないものです。
たとえば部屋の掃除をしている時に、用ができて中断しても、手をつけた部分はきれいになっています。

このように自分が手にしたものに注目すれば、自分の成果を感じることができます。
「どれどれ、なにができていなくて、なにができたのかな」
注意深く変化を探して見つけます。その上で変化にどんな意味があるのか、よく考えます。どんな小さな変化だって意味があるものです。

たとえば失敗も成果です。失敗したことでヒントを手に入れています。失敗していない人には分からないことを、自分が行動によって得たのです。

先のことは分からないので誰にとっても不安な材料です。だから、自分も変化を続けていることを忘れないようにしたいものです。

【問題点】

  • ラケットを使う
  • ヒステリックになる
  • パニックを起こす
  • 自分や周囲の人を責める
感情的な行動の原因は、コミュニケーション不全から起こるのが一番多いのですが、まず自分が感情的な行動をしないように心がけます。

ラケットというのは、心理学用語で表情や態度をメッセージにして、相手の行動を変えようとするもので、無力なこどもが主に親に対して多用するものです。それを成人したいまも使っているのが問題なのです。


ラケットを使うと人間関係をこじらせますが、自分もイヤな気分になります。その他、自尊心の欠如からトリッキーなことをします。
否定、抑圧、反動形成、退行、投影、合理化、同一化、置き換え、感情分離、知性化、取り消し、昇華、補償など様々な行為が生じます。
なかには成長に役立つものもありますが、結果的には破綻します。たとえば補償という行為は、コンプレックスをバネに力をつけます。

こんな事例も補償です。
貧しくて学校に行けなかった人が、学歴へのコンプレックスから一生懸命勉強して知識を蓄えます。ここまではいいのですが、その知識をひけらして嫌われます。
このように自尊心にこだわると、折角の長所も台無しになってしまいます。


【実行できない場合】

● 大局を観る
● ユーモア
● それでもイエスと言う
● 人より優位に立とうとしない
● プラス志向
● 楽観的(準備を怠らない)


リーダーを見てください。物事の細部を知らなくても本質を知っています。本質が理解できない人がリーダーになれることはありません。マネジャーにしても同じです。

また難題に対しても、明るく積極的に取り組んで行きます。ハリウッド映画のヒーローが誇張はされていますが、ピンチに際しても笑い飛ばします。

ポジティブであることは、問題解決の後押しになります。



2012年12月3日月曜日

花無心招蝶 蝶無心尋花/理想と現実の差を埋める目標設定をする


禅語に「花無心招蝶 蝶無心尋花」・・・・「はなはむしんにしてちょうをまねき ちょうはむしんにしてはなをたずねる」があります。

つまり自然の法則のこと、仏教では「因縁」のことをいいます。縁には良い縁と悪い縁があります。どちらを結ぶかで人生も仕事も大きく変わります。素晴らしい結果と縁を結ぶにはそうなるように力量がなければなりません。どんなに思い描いても縁を結ぶことはできません。さらに縁の不思議は一度良縁を結ぶと、どんどんいい方向に進んで行きます。良縁が良縁を運んできます。逆に悪縁も同じです。

いま自分が結んでる縁を客観的に見直してください。事実前提の経営になっていませんか?その事実が本当に事実と呼ぶに値するものかどうか、その判断が良縁、悪縁を分ける分岐点なのです。理想と現実の差を埋める目標設定をしませんか?


【 基調 】
  • 潜在能力も含めて自分の能力を最大限に活用する(創造力)
  • 自分の決意に自尊心を持つ
  • 達成することで、どのような感情を味わいたいのか、明確にする
  • 自主自立
  • チームワーク
  • 目標の要素である具体的な課題の設定

こうあるべきという理想がある一方で、分からない現実、できそうにない現実があります。その狭間に立って現実的と思える判断として「事実前提」で物事を選択する人がいます。
すると、分からないことも、できそうにないことも、そのままになります。
これは現実的な判断とは言えません。

理想という点と現実という点を結ぶと線ができます。
線は道なのです。
道がなければ行き止まりです。道を見いだすのが現実的な判断です。
理想と現実の差をうめる目標を選ぶことは、すべての始まりとなります。

目標設定については、以下の3通りがあります。
  • ベビーステップ(自信のない人向け。確実に達成できる低めの目標)
  • ストレッチ・ターゲット(背伸びした高めの目標)
  • ジャイアントリープ(意識的にとんでもなく高い目標を設定、限界突破)

よほど自信がない、志が低い、あるいは自己認識ができない人を別にしたら、保証のある目標、過去に経験した目標設定(ベビーステップ)からはマンネリを体験することで疲労感を味わうことはあっても、やりがい、満足、達成感は得られません。

顕在化した力では達成できない目標を選ぶ最大の理由は、潜在力まで使うから成長できるという点です。
理想と現実の間に立って「どうしたらできるんだ」と手のつけようのないところで自らのレベルアップを始めることです。
どうしていいのか分からないから、自分の内から創造性を引き出せます。


【 実行 】
  • 準備を怠らない。
  • 期限の設定
  • 計画を真摯に策定する
  • マイルストーンの設定と達成
  • 目標の要素である具体的な課題の達成
  • 達成で味わいたい感情の再確認


【問題点】
  • 考えただけでイヤになる
  • 達成方法を曖昧にする
  • 楽しめない
  • チームの場合、参画意識と意欲を高められない

ところが、ストレッチやジャイアントリープを設定したときに、じぶん力を使うより先にマニュアル探しをする人が多いのです。
その結果、マニュアルがないと動けません。マニュアルを使うことを悪いとはいいません。

そこには先人の知恵があります。しなくて済む苦労はしなくてもいいのです。
しかし、じぶん力を使う工夫をしないでいると、会社の品質、人の品格は気づかない間に落ちています。目標達成に向かうプロセスは容易ではありません。
やりたい気持ちと逃げたい気持ち、相反する気持ちの葛藤が自分と他者、自分と自分、他者と他者の間で起こります。

意見の衝突は価値観の衝突であり、働き方の衝突になります。
働き方の衝突は、対価の衝突にもなります。
根底にあるのは、自分の存在価値を認めてほしい気持ちです。

心のコンディションは乱れます。ライフスキルの混乱です。個人の問題を越えて、ウェイ(WAY)にどう向き合っているのか、全員が試されます。
目標と自分の間に生じる摩擦の処理の仕方によって、じぶん力の品質が決まります。
瑞々しい自分を知ることができますし、生気のない自分になることもあります。

目標設定力は自分を客観的に観察し、批判するスキルの影響を受けていますので、事なかれ主義に打ち負かされるようなら、自己肯定感が強まることはありません。自己肯定感は、ライフスキルの基礎であり到達点です。

ライフスキルは使えば使うほど向上します。
ライフスキルが向上するほど、自分を束縛しているのは、自分であったことを心と身体で感じます。それが自由です。
自由とは自他肯定、人との交流の構えそのもので、自分の良心と良識に裏づけされています。
俗にいうわがままとは自分に対する良心と良識の欠如でしかありません。
【実行できない場合】
  • 期待より励まし(周りの期待を気にせず、自分を応援する)
  • 目標の公言
  • 達成で味わいたい感情の再確認
  • マイルストーンにこだわリ抜く
  • 最小単位のマネジメント&コントロール徹底
  • 今日することにこだわる(優先順位にこだわる)

マイルストーン、つまり行程の設定と使い方、感情のニーズにこだわり、最小単位のマネジメント&コントロールを徹底します。この3つを省略すると能力は引き出せません。そのため、能力を引き出せていない状態を現実(事実)と誤解してしまい、目標をどんどん引き下げてしまいます。これこそが事実前提の経営の悲惨な落とし穴なのです。
今日すること、いますることと目標を最小の単位にすれば、ひとつひとつ解決します。
このコツコツとひとつひとつを解決する習慣を身につけることが、何事も最後までやりきる力になります、
理想論だと最初から投げやりになる人には、この発想と習慣が欠けているため、どうしていいのかイメージが分からないため、関わることさえ避けてしまいます。
避ければ(あきらめたら)終わりですので、いつまでも変わる機会がありません。


2012年12月1日土曜日

八面玲瓏/自分の強みに特化することが優れたチームワークに貢献する




禅の言葉「八面玲瓏」・・・「はちめんれいろう」と読みます。あれもしたい、これもしたい。情報に振り回され主体性を失うと自分の能力を十分に発揮できなくなり、途端に輝きを失います。一心に打込むこと、集中することが人生を素晴らしいものにすると伝えているのがこの「八面玲瓏」なのです。
チームワークとは役割分担のことです。役割分担と言わないのはどうしてでしょう。ただ役割を分担するのではなく、「チームワーク」には自分の責任を果たすことが条件づけされているからです。チームワークで優れるとは、自分の強みに特化することに他なりません。
・自分の強みに特化する。
・打ち込むことが特化になります、
・特化を進めるために客観的な「等身大の自己評価」をする。
・目的と目標を明確に持っていること
・特化する意欲を集団に拡大する

特化するには、自分の得意に徹底的に努力するのが効率的です。
「そのポジションは他の者にやらない!」というわがままを貫くことが、もっとも優れたチームワークになります。わがままと言っても、努力のないわがままはNGです。打込むことが自分を磨きます。弁護士になるには学力のある人でさえ3〜5年間1日15時間以上の学習が必要です。そこまでやるか、やらないかはともかく集中なしに特化などできないのです。

さて、そこで「等身大の自己評価」をすることが重要になります。

【等身大の自己評価】

過大評価でも過小評価でもいけません、等身大です。
客観的な自己認識スキルがものすごく大事になります。
過小評価の場合だと、うまくいかないとなんでも自分の責任、自分の力量不足と思い込み、チャレンジしなくなります。
過大評価の場合だと、何かにつけて周囲の責任にするので、改善がストップして機能停止になります。

もうひとつのタイプが、実は過小評価だけど、それを隠すために過大評価するタイプ。周囲を振り回すことになり、周囲は手が打てなくなります。
どれも自分の強みに特化できなくなりますが、どれをとってもアサーション権を認識していないことが原因で起こっています。
先にお話したアサーション権を再認識していただき、客観的な「等身大の自己評価」をしていただくのが賢明です。

集団は個人の集まりですので、チームをまとめるリーダー、マネジャーが客観的な「等身大の自己評価」をする習慣を身につけていると、集団も「等身大の自己評価」をするようになり、集団として強みに特化することができます。

この力が、会社なら、どこにでもいる「やりたくない仕事に就いている人」を巻き込んで個人の価値観に変化を与える力につながっていきます。「やりたくない仕事」というより、なにがしたいか判らない人の方が圧倒的に多いので、感動する体験を重ねると意識が変わっていきます。
「なにをやっていいのか判らない」という迷いを表現する言い回しは、「どんな仕事に就いたらいいのか」「どこの学校に行ったらいいのか」「どんなセールストークをしたらいいのか」などに使えます。重要度や規模などに関係なく使っていますが、そのいずれの場合にもあてはまる原因が、実は目的がないことなのです。

目的がはっきりしていないと継続する力が起こってこないのは万事に通じます。
自分の強みに特化することができなくなるので、戦略の3Cの関係性でのチームワークがこなせなくなります。
「そのポジションは他の者にやらない!」を実行するためにも組織内に、目的と目標をワンセットで浸透させてください。

【目的と目標を明確にする】
目的と目標は、大きなゴールと小さなゴールのような違いがあります。

目的は「なんのために」(大きなゴール)
目標は「数値目標」(小さなゴール)

目的「なんのために」を大きなゴールというのは到達に時間がかかるからです。
目標「数値目標」を小さなゴールというのは、短期だからです。

大きなゴールに到達するために、小さなゴールへの到達を重ねて行く...これが目的と目標の関係です。

ですから一般に目標は性格上、伝わりやすいものです。それでも、ただ伝わっているだけで、自分のものになっていない、明確に意識していないようであれば、目標はない状態だと考えてください。
一方の目的はと言うと、かなり曖昧になっているはずです。それが行動に与える影響はものすごく大きいのです。数値目標があっても、なんのための目標か判らないという状態ではやる気が起こらず、逆にストレスになります。これでは同じことをしていても、全く違った結果になります。
目的は「なんのために」(大きなゴール)
目標は「数値目標」(小さなゴール)


「等身大の自己評価」は
・目的の結果とプロセスの両方
・目標の結果とプロセスの両方
で、それぞれ行い、その評価の結果をそれぞれに落とし込みます。それがあるから、継続できることを忘れないようにしたいものです。

特化する意欲を集団に拡大する
目標の結果にしか関心がない集団は継続の要である反省がないので成長しません。反省は行動を改めるための戦術を練ることであり自己否定とは違います。そこには責任を引き受ける態度がなく、チームワークのかけらもありません。つまり見せかけの意欲を塗りたくったバラバラな集団だということであり、その末路は見えています。

この点からも、アサーション権の重要を訴えた意味が理解していただけるはずです。 特化する意欲、言い換えるとパーソナル・リーダーシップを集団に拡大するか、しないのか。できるのか、できないのか、パーソナル・リーダーシップを育むリーダーシップにかかっています。